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江刺の稲

農業は消費者のためにある

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第36回 1999年01月01日

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1999年1月。2001年まであと2年の刻限を残すのみとなった。2001年にはミニマム・アクセスという執行猶予の期間が終わり、日本の米生産者も関税化という世界標準の中で生きていく時代が始まる。
 1999年1月。2001年まであと2年の刻限を残すのみとなった。

 2001年にはミニマム・アクセスという執行猶予の期間が終わり、日本の米生産者も関税化という世界標準の中で生きていく時代が始まる。

 これから2年間、その交渉の推移に多くの農家や農業関係者たちは一喜一憂することになるだろう。しかし、我々は国益を守るための外交交渉に注目し、それへの対策を考えるだけでよいのだろうか。

 そろそろ、自由化による農家経営の圧迫という言い慣らされた問題認識そのものから脱するべき時なのである。日本の農業が、自らの経営が、顧客に選ばれるに足るものであるか否かが問われるべきなのである。誤解の無いよう断るが、経営規模や売上の大小を言っているのではなく、農業とその顧客との関係を問題にしているのだ。

 ウルグアイ・ラウンドが決着した5年前に、すでに2001年に向けたスタートは切られているのである。その間にあなたは何をしてきたか。

 顧客のために、すなわち自分自身のために、経営をどのように改革させたのか。コストダウンにどの様な手を打ってきたか。規模拡大の手立ては。顧客に求められる商品生産が可能な技術やノウハウの確立、あるいはその販売チャンネルの開拓は。さもなくば稲作に見切りを付けて他作目への転換を図ることや事業多角化に取り組んできたのか。そして、何よりもあなたはこの5年の間に何人の「お客様」に「農業を営業する者」として出会ってきたか。

 村や組織(業界や会社と言い換えてもよい)の調和という耳触りの良い言葉を使って、何もしないという保身の選択をしてきたのではないか。それとも、政府や農業団体や自らが属する組織が構造改革を遅らせるから身動きが取れないと、被害者意識の弁解をするのか。やれなかったのか?それとも、あなたはやらなかったのではないか?


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