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生業(なりわい)を越える

最高のものを見ないと、目標は生まれない

経営感覚のある人はある、ない人は所詮ないと決めつけるものでもないと思うのです。
 経営感覚のある人はある、ない人は所詮ないと決めつけるものでもないと思うのです。

 例えば、金の使い方を例にとっても、人によって判を押したように決まっているとよく言われます。そうかもしれません。

 金銭感覚も一つの経営能力であることに間違いないはずですが、だらしない人は、やはり、何があってもだらしないようですし、きちんとした人は、確かな見通しの中でしか無理をしないようです。

 さて、経営というのは、どうやら昆虫が脱皮して成長していくように、段階を、それぞれ経ながら進化していくようですし、状態の悪化も段階をたどりながら進行するようです。ここでは、経営の進歩する方向だけをとりあえず考えてみますが、その原動力はなんといっても経営者が、そうなりたいと思うことにあるようです。

 「…のようになりたい」これは、その人が何かの機会に、心の感動するものを体験したり見たり、聞いたりしたことが原点になっているようです。

 このことは意識して日常や訪れる機会をとらえていかないと、経営脱皮の第一歩とはならないということでしょう。

 意識して行動するにはエネルギーが必要です。余分な金もかかります。

 その行動がまったくの無駄と思えるような場面もいっぱいあるでしょう。

 事実、本誌主催のシンポジウムやその他の催しにおいても、参加したのに収穫するものが全くなかったと思って帰路についた方も多数いたと思います。

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