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農業経営者ルポ

豊かさのおすそわけ

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第41回 1999年06月01日

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毎年、竹の子の季節になると、茨城県牛久市の高松求さん(68歳)の竹山には沢山の人々が訪ねてくる。近隣だけでなく東京や千葉、神奈川から、様々な知人、会社単位のグループ、学校や塾の先生や親に引き連れられた子供たち、さらには竹山での作業体験を社員研修にしている会社もある。
 毎年、竹の子の季節になると、茨城県牛久市の高松求さん(68歳)の竹山には沢山の人々が訪ねてくる。近隣だけでなく東京や千葉、神奈川から、様々な知人、会社単位のグループ、学校や塾の先生や親に引き連れられた子供たち、さらには竹山での作業体験を社員研修にしている会社もある。

 高松さんが、屋敷脇の60aの畑に竹を植えたのは昭和43年。夫婦二人で、近燐の竹山から株を貰い植え付けたものだ。水位が高く竹が枯れ、植え直したりもした。水位を下げるために明きょも掘った。

 今では周辺の竹山のほとんどが藪になってしまった。それでも高松さんは竹山に思いを込めてきた。最近でも、我々にそそのかされて竹山で点滴潅水やマルチを張る実験までしてみたが、これは失敗だったようだ。お金をかけて竹山の周囲をイヌツゲの生垣で囲い、今年も生垣の無い場所には防風ネットを張った。

 現在、高松さんは、こだわりの食材を使う外食業である(株)平成フードサービス(和食レストラン「濱町」、郷土料理「北海道」を経営)に全量販売している。しかし、それも売上だけを求めてのことではない。年に何度か竹山に作業を手伝いに来る同社の社員のような人々に伝えたいことがあるからだ。

 竹山は、高松さんの農業経営の理念と生き方を示す高松農学校の教室なのだ。

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