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祈りの大地

米倉から生まれた神社

日本のどの村にも町にも神社がある。その数約八万社。四季折々にそこでおこなわれるさまざまな祭りは、農業という営みをぬきにしては語れない。古来、人々は生きるために祈り、大地を耕し、自然の恵みによって命をながらえ、尊い命を連綿として子孫に伝えてきた。神社の祭りは民族の生の証であり、自然と生きる農業こそは民族の命をささえるとともに、崇高な精神文明を築き上げてきた。
 日本のどの村にも町にも神社がある。その数約八万社。四季折々にそこでおこなわれるさまざまな祭りは、農業という営みをぬきにしては語れない。古来、人々は生きるために祈り、大地を耕し、自然の恵みによって命をながらえ、尊い命を連綿として子孫に伝えてきた。神社の祭りは民族の生の証であり、自然と生きる農業こそは民族の命をささえるとともに、崇高な精神文明を築き上げてきた。

 農業の危機ともいうべき現代、日本人の信仰と農業とのかかわり合いをあらためてシリーズで見つめ直してみたい。第一回は、神社の発生についてである。

 数年前のことである。タイ北部を旅行していたボクは、ラオスとの国境に近いチェンライ県の村で意外なものを見た。

 小学校のそばに農家があって、若夫婦がヤマハのバイクに麻袋入りの米一俵をのせて、外出しようとしている。ウソのように暑い日で、主人は上半身裸である。荷台が小さくて、バランスよく積荷をのせることができない。通りすがりのボクが手伝うハメになった。重い米の袋をのせ終えると、夫婦はふたり乗りでヨロヨロしながら家を出ていった。

 意外なものというのは、日本の神社そっくりのかたちをした農家の建物である。母屋が高床式の木造家屋なのは北部タイでは珍しくないが、ワラぶきの納屋は屋根の両端に千木(ちぎ)がつきだし、尾根のところには鰹木(かつおぎ)のようなものが見える。伊勢神宮の洗練された美しさには遠くおよばないが、基本構造は似ている。

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