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江刺の稲

若き農業経営者たちへ

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第48回 2000年02月01日

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幕末の歴史に大きな足跡を残した先人たちの没年を聞くと、その年齢の若さと共に、志しの高さ、歴史認識、構想力と実行力そして後世に対して果たした役割の大きさに我々は感嘆する。
 幕末の歴史に大きな足跡を残した先人たちの没年を聞くと、その年齢の若さと共に、志しの高さ、歴史認識、構想力と実行力そして後世に対して果たした役割の大きさに我々は感嘆する。

 彼らの没年を列挙すれば、吉田松陰29歳(1830~1859年)、高杉晋作28歳(1839~1857年)、久坂玄端24歳(1840~1864年)、坂本竜馬34歳(1833~1867年)、木戸考允44歳(1833~1877年)、伊藤博文68歳(1841~1909年)、勝海舟72歳(1823~1899年)、井上馨80歳(1835~1915年)、山県有朋84歳(1823~1922年)などである。そして、吉田松陰がペリー提督の黒船で密出国を試みたのは23歳の時であり、高杉晋作が藩命を受けて上海へ渡ったのも23歳だった。

 なぜ彼らは、そんな若さで日本の進むべき方向を見抜き、そして時代をリードすることができたのか。彼らが並外れて優れた人々であったことは言うまでもない。それと同時に、幕末というひとつの時代の終焉が彼らに場を与えたのだともいえる。草に産み付けられた卵が青虫に孵り、蛹の形で冬を越し、やがて以前の姿とは似ても似つかぬ蝶に変身していく。そして、まだ羽の濡れた羽化したばかりの蝶は若々しくとも、彼らの体の中にはそれまでの歴史の体験が刻み込まれているのであり、さらに彼らは次世代を生み出す役割を担って登場してくるのである。歴史というものもそんな経過を経ていくのであり、人は時代の子供であると同時に、歴史の遺産なのである。

 話は変わるが、筆者が農機具の業界雑誌の編集という仕事を通して農業関係の仕事を始めて26年になる。その間、たくさんの農家や農業にかかわる職業人たちに出会ってきた。現在の年齢で言えば、90歳位の方から20代まで様々な年代の人々である。同じ農家であっても経営作目や地域、そして自らの経営目標や立場の違いによりその考え方や意識には、同じ「農家」という言葉でくくられる人々の間にも大きな隔たりがあった。それは、本誌が言う「農家」と「農業経営者」との違いでもあった。その時代その時代に、それぞれの場所や立場で、困難や葛藤を抱えながら農業や地域の改革に取り組む人々に出会ってきた。しかし、ここ数年、40代、あるいは20代、30代の農業経営者の中に、それまでの世代とは異質の、息張ることもなく自然体で社会や歴史と向き合い、自然体で市場社会や世界を視野に入れながら自らの経営を創造し、未来に働きかける青年たちが育ってきているのを感じることが多い。


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