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祈りの大地

白鳥に化身する稲魂

二月最初の午(うま)の日は『初午』と呼ばれる。今年は六日の日曜日で、全国に約四万社あるといわれる稲荷神社の総本社、京都の伏見稲荷大社をはじめとして、全国の神社で初午祭がおこなわれる。同社の中村陽さんによると、かつて農家の人たちは農作業が始まるのに合わせて豊作の願いをこめ、「しるしの杉」をいただいて帰ったという。
 二月最初の午(うま)の日は『初午』と呼ばれる。今年は六日の日曜日で、全国に約四万社あるといわれる稲荷神社の総本社、京都の伏見稲荷大社をはじめとして、全国の神社で初午祭がおこなわれる。同社の中村陽さんによると、かつて農家の人たちは農作業が始まるのに合わせて豊作の願いをこめ、「しるしの杉」をいただいて帰ったという。

 この日が縁日になったのは、伏見稲荷大社の祭神が稲荷山の山上三ノ峯に降臨されたのが和銅四(七一一)年二月十一日(もしくは九日)で、この日が初午だったから、と説明されるのだが、興味深いのは『山城国風土記』逸文に描かれている同社の起源説話である。

 秦氏の祖先が餅を的にして矢を射たところ、餅が白い鳥となって飛んでいき、山の上に降り立った。そこに稲が生えてきた。稲がなったので、「いなり」という社名にした――というのである。白い米、白い餅、白い鳥と、鮮やかな純白が目に浮かぶ美しい物語だ。

 鳥が稲をもたらしたとする伝承は、わりによく知られている。

 例えば伊勢神宮に伝わる伝承では、第十一代垂仁(すいにん)天皇のころ、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が皇祖天照大神(あまてらすおおかみ)に朝夕の御餞(みけ)を奉るのにふさわしい土地を求めて巡幸されたとき、昼夜、泣き続ける鳥がいたので臣下を遣わすと、葦原に一茎で千穂の霊稲があり、鶴が稲穂をくわえていた。「鳥でさえ田を作って大神に奉っている」と、倭姫命はこの稲を御料として、この千田の地に伊雑宮(いぞうぐう)を建てた――とされる。


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