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【作物別経営研究】
キュウリ ~良食味提案と個性化の時代~
- 編集部
- 第12回 2001年07月01日
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キュウリの原産地についてはまだ諸説あるが、インドのヒマラヤ山麓からネパール付近にかけて分布している野生キュウリが、長い年月の間に栽培化されていったものと考えられている。西部アジアでは、3,000年以上前からキュウリが栽培されており、そこから時期を違えてヨーロッパ、中国、アフリカ、ロシアへと伝播されていったものと考えられている。
日本の文献では、『本草和名』(918)にすでに「胡瓜」の名が見られる。胡瓜とは「胡(西方)」よりきた瓜という意味である。日本でキュウリが広く食されるようになったのは江戸後期からで、それまでは瓜の中でもあまり人気のない作物であった。例えば貝原益軒の『菜譜』(1714)には「瓜類の下品なり、味よからず。かつ小毒あり、性あしく、ただ干し瓜とすべし」とある。江戸後期から明治期になると、地方品種が生まれるなど全国的に普及するようになる。そこには、味としては他の瓜に比べ落ちるが、早出し栽培が確立されるなど諸瓜に先がけて消費者に提供できるといった魅力があったことが関係しているようである。
戦前まで、キュウリの代表的な食し方は漬け物であった。日本に野菜を生食する習慣が定着したのは戦後のことであり、キュウリはその中で重要な位置を占めるようになった。1960年代以降その需要は急増し、販売額ペースで1位の座を占める。平成期に入ってからは、生産量も暫減し、トマトが1位の座に着いているが、それでも世界で最もキュウリの生産量が多いのは日本である。
日本の文献では、『本草和名』(918)にすでに「胡瓜」の名が見られる。胡瓜とは「胡(西方)」よりきた瓜という意味である。日本でキュウリが広く食されるようになったのは江戸後期からで、それまでは瓜の中でもあまり人気のない作物であった。例えば貝原益軒の『菜譜』(1714)には「瓜類の下品なり、味よからず。かつ小毒あり、性あしく、ただ干し瓜とすべし」とある。江戸後期から明治期になると、地方品種が生まれるなど全国的に普及するようになる。そこには、味としては他の瓜に比べ落ちるが、早出し栽培が確立されるなど諸瓜に先がけて消費者に提供できるといった魅力があったことが関係しているようである。
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