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新・農業経営者ルポ

危機を救ってくれたのは家族とお客様だけだった

鈴木の訴えは、農協が作業委託者を紹介するという前提で始められた事業なのに、農協は営業推進の努力を十分にしないまま、債務の返済要求をしたことに対する「債務不存在確認」であった。裁判所は鈴木の主張を認め、農協に和解勧告を出した。和解条件は、当初の融資の元本分だけを、4%金利で30年で返済するというもの。延滞利息で膨らんでいた金利がなくなっただけでも、鈴木にとっては大きな成果だった。

もっとも、鈴木が相談をもちかけた時には、弁護士も躊躇していた。しかし、鈴木は曲がりなりにも、農協との契約にかかわる様々な文書や議事録などの記録を残していた。そうした証拠書類の存在があってこそ、弁護士がその能力を最大限に活かせるのだ。仮にそうした文書がなくとも、借金や事業上の問題があるのなら、まずは弁護士に相談することである。それが傷を深めないための方法だろう。鈴木も言う。

「多くの農家が、事情もわからないままに農協などに白紙委任をしています。それは経営者としての責任も権利も放棄していることだと思います。それでは問題が起きた時に、自分を守れません。そしてそのことが、無知な農家に対して農協が強く出られる背景になっているんです。どんなことでも、自分が理解しない限りは動かないこと。どんなに難しい案件でも、もし相手がプロなら、それを自分に理解させてこそ信頼関係ができるというものです。自分を理解させられないなら、信用の置けない相手だと考えた方がいいでしょう」

鈴木は弁護士からそれを学んだ。そしてこう続ける。

「ちゃんとしたプロの職業人と出会って、一緒に仕事をするようになると、自分は自分のことさえしっかりやればよいことになります。彼らこそ自分が職業人、事業者になるための先生でした。そして、お客様の存在がどれだけありがたいことか。農協、親戚を含めた地域の人間関係で四面楚歌になる中で、変わらぬ注文をくれ、お金を払ってくれるのですから。危機を救ってくれたのは、家族とお客様だけです。厳しい要求をいただくこともありますけど、事業者としての我われを守ってくれるのは、他の誰でもないお客様なのだということを、しみじみ感じました」


コメの小売事業を拡大

正式にコメの小売許可を取ったのは95年。それ以前は、基本的には玄米で卸業者などへ売っていた。まだ玄米でも1俵が2万数千円もする時代だった。古くから自由米の集積地であった郡山市に隣接する鈴木の地域は、自由米業者との接点はいくらでもあった。

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