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江刺の稲

「外食」世代が中心になる時代の農業

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第72回 2002年02月01日

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以前、独身で30代前半の世代に属する若い友人のG君と「外食」について話していて、50代の自分との認識の違いを感じさせられるとともに、自らの経験や主観に囚われている自分にハッとしたことがある。「ところで、外食するというのはハレ(特別の日)だよな」と問うた僕に「イヤ、違いますよ。外食はケ(日常)であり、少なくとも独身の僕にとっては家でご飯を食べることこそハレですよ」と彼は言うのである。
「外食」世代が中心になる時代の農業


 以前、独身で30代前半の世代に属する若い友人のG君と「外食」について話していて、50代の自分との認識の違いを感じさせられるとともに、自らの経験や主観に囚われている自分にハッとしたことがある。

「ところで、外食するというのはハレ(特別の日)だよな」と問うた僕に

「イヤ、違いますよ。外食はケ(日常)であり、少なくとも独身の僕にとっては家でご飯を食べることこそハレですよ」と彼は言うのである。

 今時の小洒落たレストラン等という格好の良いものではない。昭和20年代後半から東京の子供であった僕が、母親に連れられてデパートの最上階の食堂で食べたソフトクリーム。兄のお下がりであっても“よそ行き”の服に着替えさせられ、電車に乗って都心のデパートに行くことは、少し育ちが良さそうに言えば“お出かけ”であり、今で言えば何のことはないソフトクリームを食べることは、僕等にとって文字通りハレ(非日常)の体験であった。今の子供たちなら、「そんなの付き合ってられないよ」と鼻で笑うところだろう。当時のデパートには、階段や店内の各所に宣伝用のチラシが積み重ねて置いてあった。僕たち兄弟にとっては、店員の目を気にしながらも、それを集めてくるのが楽しみでもあった。子供が自由になる紙など無かったからだ。

 それはともかく、僕がG君に何気なく聞いた「外食」の話が無ければ、現在の外食産業について、まったく頓珍漢な認識を持ち続けるところだった。

 育ってきた世代ゆえに、僕は「外食」=「贅沢」という決め付けをしてしまい、すでにそれが都市の単身者の多くにとって、日常の「給食」の場としての機能を果たしていることを気付こうともしなかったのだ。外食企業の人々と親しく付き合っていながら。

 言われてみればすぐに納得することを含め、人々の認識や思い込みとはそういうものなのである。それが、様々な誤解を生み、自らの判断も誤らせるのである。

 今月の特集を読んで、「農業経営者」はフードビジネスの雑誌になったのか、と言う読者もおられるかもしれない。でも、現在の取引相手が誰であれ、フードビジネスの動向を無視して農業の経営を考えることは、いかにも乱暴なことなのである。それが、大きなバイイングパワーを持つ需要者であるという理由だけでない。現代において、彼等が作る食文化や食習慣が日本人のそれを左右しているからだ。

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