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江刺の稲

日本バンザイ!韓国バンザイ!

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第77回 2002年07月01日

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世の中はワールドカップ一色だ。その上、我が日本チームが決勝トーナメントに一位で勝ち進むに及んで、その熱はいよいよ上がった。ニッポン、ニッポンの声援とともに日の丸を打ち振る人々、スタンドを埋め尽くした青のユニホームを着たサポーターたちが国歌を斉唱する姿。近年、日本人が老若男女がこぞってこんなに熱く同胞意識を持ち、その象徴としての国旗を打ち振り君が代を歌うことに皆が感激したことは無いのではなかろうか。日本チームの決勝トーナメント進出だけでなく、歴史に残る素晴らしい事件だと考えている。
 スタッフはこういうことを書くな、と言うのだが、何がいけないのだ。なんといわれようともそれは気持ちが良く胸が熱くなるのは僕だけではあるまい。むしろ、国旗や国歌を愚弄するような教育に熱心な一部の教師やマスコミの人々は、今どんな顔をしているのだろうと言いたくなる。

 我が社でも、日本の登場する試合を気にしながら仕事をするのは精神衛生上よろしくないという社長命令でTVを付けて仕事をすることにした。とにかく社長が率先してしまうからスタッフたちは自分の仕事の進み具合を気にしながらも、自らの愛国心を踏絵されるかのような顔で、やはりいつの間にかサッカーに熱くなっている我が社であった。対ロシア戦の時などは、外出している社員から電話がかかると「何だ忙しいのにウルサイな、お前は非国民か!」などと怒鳴っている、我が社は本当に非常識な会社だ。

 何を隠そう、僕は日本サッカー協会が日本蹴球協会と呼んだ時代、東京オリンピックで初めて芝生のサッカーグラウンドが出来た時代にサッカーをやっていたのだ。

 高校1年の10月に東京オリンピックがあり、そこで国会議員になった釜本氏、すでに監督としても過去の世代になってしまった森氏や先頃亡くなった杉山氏といった人々が活躍し、それを期に1学年ではとても1チームを作れなかったサッカー部がどこの学校でも一気に部員を増やした時代の人間なのだ。その後、メキシコ・オリンピックで銅メダルを取る快挙を上げたが、所詮オリンピックには一流選手は出てこない。まだ日本のサッカーはマイナースポーツであった。

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