ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

江刺の稲

最終販売者の経営倫理と説明責任

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第79回 2002年09月01日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ
本年3月号の土門剛氏の連載レポート「農と食産業の“時々刻々”」を読み返していただきたい。同時にこの連載の4月号も再読いただけたら幸いである。その号で土門氏がイニシャルで「巨悪」と名指しした日本ハムが大きな批判を受けている。当然のことである。
 本年3月号の土門剛氏の連載レポート「農と食産業の“時々刻々”」を読み返していただきたい。同時にこの連載の4月号も再読いただけたら幸いである。

 その号で土門氏がイニシャルで「巨悪」と名指しした日本ハムが大きな批判を受けている。当然のことである。

 ところで、農業や食品流通業界の不正が一気に事件化したのは、BSE問題に端を発して農業と食品流通に関する“嘘”が一気に露見したのがきっかけである。食肉や野菜の流通に限らず、農産物生産とその流通のありように対する消費者の不信が食の安全性への不安とともに噴出したのである。

 しかし、それに対する行政や業界関係者の反応をみていると、相変わらずメディアの批判をかわすための言い逃れと、弁解をするための対応策を出すだけにとどまっている。その批判の元になっている農業や食品流通の抱える問題に対して、政治も行政も企業も生産者団体も答えを出しあぐねているように思える。

 今、食品それも食肉や生鮮・加工野菜の流通に関する業界スキャンダルが堰を切ったように事件化されるのはなぜだろうか。これまでこの世界の住人たちが素朴で善良な人々であり、そこに犯罪が存在しなかったわけではあるまい。

 むしろ、それはこの世界があまりにも行政と政治の支配を受けたために、特殊な部落になってしまい、そこだけで通用する特殊な論理や非常識ゆえに外からは容易に問題にできなかっただけなのだ。そして、とかく批判の対象となる政治家や官僚あるいは農業団体や業界の黒幕たちだけでなく、農業にかかわる多くの人々もまたその利益のおこぼれに預かる当事者となることで、無法を知りながらそれを黙認してきてしまったのである。そのために、内部からの健全な批判や自己改革が進められてこなかった。自らのアイデンティティの源泉であり安住の居場所を保障してくれる“オラが村”を誰も壊したいとは思わないからだ。そのような“無法の常態化”のために、未だ自らの振る舞いの違法性にすら気付かぬ者も少なくないのだ。

関連記事

powered by weblio