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江刺の稲

“豊かさの中の敗北主義”を超えて

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第90回 2003年08月01日

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「海外からの輸入圧力によって日本の農業が滅ぼされる…」という議論はデマである。日本の農業は、外圧によってではなく安楽椅子にへたり込んだまま自滅への道を歩んできたと言うべきだからである。

「海外からの輸入圧力によって日本の農業が滅ぼされる…」という議論はデマである。日本の農業は、外圧によってではなく安楽椅子にへたり込んだまま自滅への道を歩んできたと言うべきだからである。

 自らがどれだけ恵まれた条件や能力を持っているかを考えようともせず、ただ被害者意識ばかりを募らせて、行政や政治への依存度を高めるばかりであったからだ。それが農業に寄生する政治家や行政や農業団体あるいは関連業界などに利権を与えてきた。農家もそのおこぼれに預かってきたわけであるが、それはむしろ糖尿病患者に砂糖を与えてより事態を深刻化させるようなものであった。農家が自ら困難に立向かう精神の健康さや未来にチャレンジする事業者として成長することを阻んできたのだ。

 “日本農業を守れ”という空虚なシュプレヒコールをあげながら、日本村、農業村の中に引きこもり、誇りなく、似非弱者を演じることで保護を求め、また、そのことが農業関係者の思考を内向きでひ弱で想像力のないものにしてしまったのだ。
 しかし、冷静に時代を見つめれば、国内外を問わず、日本の農業あるいは日本人の農家であればこそ、多様な発展の可能性があることに気付かないだろうか。今月号では農産物の輸出を中心に、海外に視点を移した日本農業の可能性を取り上げた。

 セーフガード問題がかまびすしく語られた頃に、韓国で日本向けにナスを作っている農家を訪ねた。たくさんの日本の農家が彼のハウスに“敵状視察”に来たというその農家は言った。

「海外からの農産物輸入に日本の農家が神経質になるのは理解できるが、ヨーロッパにはすでにEUができているのですよ。アジアもそんな時代になるのでは…」

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