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江刺の稲

お陰様で創刊100号、そして次へ

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第99回 2004年05月01日

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本誌は1993年5月28日の創刊以来、通巻で100号目を迎えた。季刊発行の時代から数えて今月号で満12年になる。創刊当時を考えれば、ここ数年の農政の大転換だけでなく社会一般や実業界の農業に対する注目や認識の変化には隔世の感を禁じえないものがある。
 本誌は1993年5月28日の創刊以来、通巻で100号目を迎えた。季刊発行の時代から数えて今月号で満12年になる。創刊当時を考えれば、ここ数年の農政の大転換だけでなく社会一般や実業界の農業に対する注目や認識の変化には隔世の感を禁じえないものがある。

 ここまで続けてこられたのはひとえに読者およびこの雑誌をご支援いただ皆様、そして広告主のお陰である。ここで改めての御礼を申し上げたい。

 ところで、米の減反は1970年に始まった。それから30年以上、農業界では「米を作れない」不幸を被害者意識で語り続けてきた。転作奨励金あるいは○×加算金が支払われるという根拠も突き詰めればそこに行き着く。

 しかし、これまで何度も述べてきたが、1960年代末に米の過剰が始まっただけでなく、国民一人当りの消費カロリーが1971年を最高にしてそれ以降は減少しているのだ(国民栄養調査)。欠乏の社会が終わり、過剰の社会が始まっていたのである。農業界の論理の行き詰まりとは、この欠乏の論理を根拠にしていることにあるのだ。

 今から35年前、我々はパラダイム(思考の枠組み)を転換する必要があったのだ。しかし、多くの農業にかかわる者たちは安楽椅子に座り飽食を続けながら「欠乏」の時代の論理を超えようとはせず、それにすがって自らの正当性や被害者の論理を主張し続けた。たしかに、それは天動説から地動説へと思考を転換するのと同様に困難なことなのである。なぜなら人は有史以来飢え続けてきた訳であり、かつて国家や人々にとっての最大のテーマは飢餓の克服でありそれへの備えであったのだから。

 それに加えて、農業界には相変わらず「市場の論理」あるいは「市場社会」という言葉や現実を忌避する感情がある。ソビエト・ロシアを含む社会主義国家群の崩壊を見れば判る通り、自由な競争と市場機能による需給調整によらぬ経済は破綻するのだ。ソビエト社会とは欠乏を前提とした世界においてのみ通用した幻想なのである。

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