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新・農業経営者ルポ

我あえて火中の栗<GM>を拾う

遺伝子組み換え(GM)作物が日本に上陸して9年。輸入品が食品原料や飼料用として流通する一方、商業栽培を巡っては方向性が定まらない。全国の農家らで作る「バイオ作物懇話会」は4年前、国内で初めて一般圃場で試験栽培を実施し、その活動は思わぬ波紋を呼んだ。だが「農業の衰退」を憂える代表、長友勝利は「時代に合った科学技術」に確信を抱き続ける。(秋山基)
 いつの間にか、渦の中に巻き込まれてしまった。長友勝利にはそれが不本意でならない。春先、自宅にいると、様々な自治体の農政担当者から電話がかかってくる。

 「長友さん、今年はやらないでしょうね。やるんですか。やりませんよね……」

 これが行政が口にする言葉だろうかと半ば苛立ち、半ばあきれる。「今年はまだ計画していません。やらないとは言いませんが、計画はありません」

 そう答えると、役人の多くは「あ、そうですか」と安堵したように息をもらすそうだ。

 事件は2003年の夏に起きた。茨城県谷和原村の農地で、「バイオ作物懇話会」が試験栽培していた遺伝子組み換え(GM)大豆20a分が無断ですき込まれた。

 実行したのはGM作物の栽培に反対する市民団体。大豆が開花しているのを見て、「花粉が周囲の大豆畑に飛び、交雑する危険性がある」として、懇話会に刈り取りを要請した。同会はこれを拒否。栽培を続けようとしたが、団体側はトラクタを乗り入れて畑を破壊した。

 懇話会の代表を務めているのが長友だ。あたかもGM推進派の「首魁」のように扱われ、谷和原事件では被害者であるにもかかわらず、GM反対派から激しい非難を浴び続けている。本業は宮崎市の水稲専業農家だ。

GMは時代にあった栽培技術「不安」に科学的根拠はあるか  始まりは96年だった。GM作物7品種の安全性が国によって認められ、国内栽培が可能になった年、長友は仲間と8人で懇話会の母体を立ち上げた。

 「今のような事態になるとは想像もしませんでした。GMは新たな、すばらしい品種改良技術だと感じましたし、経営安定に役立ちそうに思えた。ただ、その技術のなんたるかがよくわかからない。とにかくまず、勉強したいと思ったんです」

 研究機関が主催する講演会に足を運び、GM大豆の審査申請者である日本モンサント㈱の営業マンからも直接話を聞いた。除草剤耐性の大豆を栽培すれば、農薬散布が減らせる。汚粒の原因となる雑草を低コストで防ぐことができ、作業も簡素化される。

 長友はGM技術に魅力を感じた。

 「昭和20年代から農業を見ていますから、かつてのお粗末な品種、低収量や農作業の苦しさを知っています。科学の大切さ、時代に合った栽培技術の必要性を考えるんですね」

 会員の間には「もっと勉強のレベルを上げよう」という声もあった。そこで、反対派と呼ばれる人々の意見にも耳を傾けたが、「危ない」「不安だ」と主張するばかりで、科学的な根拠が示されていないと感じた。

 「既存の作物はどれ一つとして安全性審査を経ていない。食べるとアレルギーが出るものもあるし、毒性を持つものもある。その点、GM作物は安全性や環境への影響についての審査を受けています。それでも『不安』と言うなら、『安全』の根拠とは何でしょうか」

 懇話会の会員は北海道から沖縄まで、長友の想像を超えるスピードで増えていった。現在は農家だけでも680人が加わっている。その熱意に触れるうち、長友は「みんな苦しんでいるのだ」と感じ始めた。「GM技術で農家に活気が生まれたら、農業の発展につながる」。その思いが活動を続ける信念となった。

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