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江刺の稲

「農業の高齢化」は本当か

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第159回 2009年07月01日

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『アグリズム』に関するメディアの関心は、1万5000部刷った創刊準備号が売り切れとなった後も続いている。ありがたいことだ。それは編集長である若き農業経営者・荻原さんの人柄とスタッフの努力がなせる業である。
『アグリズム』に関するメディアの関心は、1万5000部刷った創刊準備号が売り切れとなった後も続いている。ありがたいことだ。それは編集長である若き農業経営者・荻原さんの人柄とスタッフの努力がなせる業である。 しかし、先ごろの世間の農業への関心の高まりは異常とも思えるほどだ。半面の危うさを感じながらも、やはり嬉しい。そうした反応は、これまで農業界が世間に流布してきた農業・農村に関する情報に、人々が疑問を持ち始めてきた結果でもあると思う。

たとえば、「農業の高齢化」「日本農業の弱さ」「農業は儲からないから後継者が育たない」「コメの輸入障壁を外したら日本農業は滅びる」等々である。本誌はそれに異を唱え続けてきた。 このような日本農業に関する敗北主義あるいは自虐的論理は、既に時代の役割を終えた制度や団体が既得利権を確保し、そこに居場所作りをするための広報宣伝活動なのである。日本農業には、国内的にも世界的にも大きな可能性と求められる役割を果たすことが可能である。

にもかかわらず、負け戦を前提とした論理で日本農業の保護を訴える議論のことを筆者は「利権化された敗北主義」であると申し上げてきた。農業関係者が食料自給率を声高に叫ぶのも同じ理由からである。

また、自民党から共産党までのすべての政党が、敗北主義の下にバラ撒き政策を票集めの手段としている。それに無批判なメディアもまた同罪なのである。

『アグリズム』で取材にみえるメディアの人々は、必ずと言ってよいほど最初に_農業の高齢化_を語る。僕はそのたびに「それは違うよ」と答えねばならず、その解説から始めなければならない。 たしかに農業就業者の高齢化は進んでいる。しかし、彼らの多くは事業者としての経済活動をしているわけではない。農家という_暮らし方_を楽しんでいる人々である。語られる高齢化とは農家世帯の高齢化を示されているに過ぎないのだ。もとより彼らは産業あるいは経済活動としての農業に寄与をしていないどころか補助金付き家庭菜園とでもいうべき趣味的な農業をしているのだ。

それは、農業の構造改革が進まない原因となってきた。さらに、赤字を承知で趣味的なコメ作りを続ける農家の政治的温存があればこそコメ農業の産業的発展を妨害する「生産調整」に根拠を与えてきた。

このとおり農業就業者一般の高齢化は、農業の未来にとっては必ずしも問題視するような話題ではないのである。農村生活者としての農家数や世帯年齢ではなく、農業経営者の数や年齢こそが肝心なのだ。

むしろ、農業を目指す若い世代は確実に増えている。彼らは、現代の日本という時代や社会であればこそそこにチャンスを見出し、農業経営者たることを目指してチャレンジしようとしている人々だ。彼ら若者こそが農業のイノベーションを実現するのだろう。

農業に関する情報の少なさから勘違いもないとは言えないが、若い人々に限らず、壮健な定年退職者や企業までもが農業を目指す時代になっている。こんなマイナスのイメージばかりが流布されてきた農業であるにもかかわらずだ。

筆者は農業をリードする多くの農業経営者の存在を知っている。筆者は日本でこそ農業は成長産業なのだと言い続けてきた。そして今ほど農業に若い息吹を感じる時代はない。

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