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しかし、そんな達に農業、そして酪農に対する気持ちを冷めさせることが起きた。85年のプラザ合意による円高の進行だ。達が取り組んできた土と自給飼料、牛の改良による酪農経営の安定という考え方より、円高で安くなった輸入飼料で牛乳を搾るという施設型の酪農が持てはやされ、そのほうが簡単に利益を出せる時代になったことだ。それは達の考える酪農の理想とはあまりにもかけ離れたものだった。
それでも達は、いまでいう6次産業化かもしれないが、アイスクリームの製造を始めた。何かの補助金をもらってやったことではない。バブル時代の最後の時期に市中銀行から借金をして始めたことだった。2年後にはバブルが弾け、高い金利の借金が残ったが、達のアイスクリームをと言ってくれる業者もおり、いまでも続けている。すでに酪農の経営にはタッチしていないが、現在でも年間100万円くらいの売り上げにはなるそうだ。達は政府の補助金に一切頼らず、独立自尊で経営してきたことを誇りとしている。そして、いまになって考えると反発した満の影響を受け、満が作った人脈に助けられてきたと別れ際に話していた。
上野裕のチャレンジ
裕と筆者の出会いは、昨年11月の千葉県成田市での子実トウモロコシ検討会だった。裕は検討会に参加し、成田の検討会でトウモロコシ生産の実践者として参加していた瀧島敦志と小泉輝夫も裕と出会い、協力の可能性を語り合っていた。そんなことから筆者が裕を訪ねると聞きつけ、瀧島、小泉の2人も同行することになった。
瀧島、小泉も筆者は親の世代からの付き合いである。その3人の話は、親たちへの尊敬を語りつつも自分との違い、農業経営者としての個性の違いについてだった。彼らの親世代でも多くの農家の関心は政府がばらまく交付金や補助金の額だけ。しかも、自ら経営の可能性を切り開こうという意思を持った農家は限られていた。彼らの親たちは新しい農業経営に取り組み、それゆえに他の農家や地域からは特別視されるような存在だった。瀧島の父・秀樹は時代に合った経営センスを発揮していたが、技術を追求するタイプ。小泉の父・孝義もさまざまな取り組みをした後、いまは後継者の輝夫を後ろで支援する温厚な父親を演じている。
裕も瀧島も小泉も明らかにその親たちとは違う時代を生きている。先に書いた欠乏の社会から過剰の社会への転換は戦後を生きてきた彼らの親世代も理解している。でも、3人の中でも一番年上の裕でもすでに過剰の病理が始まってから生まれ、農家であるか否かにかかわらずそれを受け入れ、時にはそれを享受しながら育ってきた。でも、この3人は時代の変化の中で落ちこぼれようとする農家を農業政策が守ろうとするのを、その過剰な保護が農家や農業を助けるのではなく、むしろ農家を弱体化させ自らの誇りを奪うことにつながるのに気づいている。やがて現在のような保護農政がなくなる時代に向けて体質強化を進めるだけでなく、これからの時代に人々が農業に求めるものが何であるかに気づいている。そうした条件の中で生き延びていくための経営のあり方を考えている。裕がトウモロコシの検討会に参加し、瀧島や小泉との交流を求めたのもそのためだ。裕が目指す放牧酪農であればこそ量は限定的であっても近隣に国産トウモロコシを供給してくれる仲間が得られることに注目したのだ。そして、それに取り組む若い耕種農家との出会いがうれしかった。
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上野裕 ウエノユタカ
新利根協同農学塾農場
代表理事
1968年、茨城県稲敷市生まれ。終戦後の47年に同地に15戸の農家による協同農場(新平須協同農場)を組織した上野満の孫として生まれる。酪農学園大学卒業後、酪農に従事。2005年より茨城県では珍しい放牧酪農に経営を転換するとともに、それを現代人の癒しの場とする牧場を目指している。
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