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イベントレポート

町民の誇りがつくりあげた街並み 山形県金山町を訪ねて

金山の街に立てば、だれもが一瞬にして昭和初期の時代に引き戻されたような感覚に陥るだろう。道路に沿って日本家屋が軒を連ね、石積みの農業用水路が巡る街並みは、厳かさと包みこまれるような懐かしさをあわせもっている。
この日本家屋は金山住宅と呼ばれる。また、雪国ならではの高床の造りも見られる。外壁に使われている杉の木は、樹齢80年以上の「金山杉」である。「金山杉」の深い茶色と漆喰の白色が、モノトーンで統一された落ち着いた雰囲気をかもし出している。
金山町は山形県最上地方の山間にある。現在、人口約6200人、1800世帯という小さな町だが歴史は古い。本能寺の変の前年、1581年には文献に登場し、16世紀の終わりごろには金山城が建立された。その後、奥州街道の裏街道に位置することから参勤交代などの宿場町として栄えてきたという。
JR山形新幹線の終点、新庄駅から車で20分ほど走ると、金山町を一望できる上台峠にさしかかる。春が近いこの日、まだ雪が残る青白い山々を背に、薬師山、中の森、熊鷹森の三峰がそびえている。手前には金山川を挟み水田が広がり、この水田と三峰の間に背丈の低い金山の街並みが溶け込んでいる。この景色が、金山町で古来続く人と自然との営みを象徴するかのようだ。
金山町の人々は杉の山と共に暮らしてきた。この地で30年以上、金山大工として杉の木の家づくりを続けてきた8代目棟梁、渡部俊治氏(66)もそのうちの一人だ。
「山で働く人が杉を育て、杉の木がきれいな水をつくる。山から流れ出るその水で、農家はコメをつくる。大工は杉の木で家をつくり、いただいたお金を街でつかう。林業、農業、工業、商業、みんな山の恵みで生きています」

30年以上つづく
「街並みづくり100年運動」

金山町で育てられた樹齢80年以上の木材は「金山杉」と呼ばれる銘木だ。
この金山杉は金山大工たちの手によって芸術的な民家の建築材として活かされてきた。金山杉と金山住宅の伝統は、もはや「文化」と呼ぶにふさわしいと金山の人々は胸を張る。
しかし、その伝統が途切れてしまう危機が訪れた。高度経済成長が始まった60年代、金山町にも近代的な西洋建築の流れが押し寄せた。 そのころ金山大工の父の元を離れ、関東で宮大工の修行を積んでいた棟梁の渡部氏は、故郷の金山町が変わっていった当時を振り返る。
「我々は杉の木の恵みで生きてきたのに」
木の家の良さを知り、木の家をつくるために技術を磨いていた渡部氏は、その光景に驚き悔しい想いが溢れたという 金山町は、金山杉と金山住宅の伝統を守り、街の美しさと林業と建築の技術を継承するために立ち上がった。

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