ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

なぜGM大豆栽培に踏み切ったのか(前編)

「来年・遺伝子組み換え栽培の計画」2004年、10月1日、毎日新聞・北海道版の一面に威風堂々と、こんな見出しが躍った。それまでの農業に疑いを持っていなかった農業者がGM(遺伝子組み換え)大豆生産者として登場することになった経緯を話そう。
私は北海道長沼町で大豆・麦を栽培する入植3代目の農家である。
祖父は香川県出身で北の新天地に思いを馳せ教員、その後国鉄職員になった。50歳を過ぎたころから原野を開拓、不在地主でもあったので、GHQの命により多くの農地を強制売却することになった。
そのような過程を見てきた2代目の父は、決して反米に染まることなく、米国の影響力が強い戦後の1年ほどではあるが、国防の中核をなすべく警察予備隊に入った。68年に祖父から相続した5haで農業のスタートをきる。周りからは「宮井さんも私たちと同じ面積になったね」と仲間意識の強いお言葉をいただいた。
そして3代目の私は、農政の枠組みで粛々と生きていくことになる。
この地方では入植4代目や5代目が多いが、幸か不幸か農業に対するいやらしいしがらみなどは、親から学ばなかった。一方、農業先進国の米国、なかでも「ハート・オブ・アメリカ」である中西部の農業から学ぶことは多い。ただ、それを口に出すと反発がある。日ごろから米国、米国農業はすごいと言っているのだから「米国かぶれ」とお褒めの一つでも出てくるのは当然だ。その米国かぶれから見ると、本気に大豆を取り巻く問題を解決する気があるのか、大いなる疑問がある。日本かぶれの大豆生産者は日本の大豆の収量が50年間変わらないことに危機感はないのだろうか。

関連記事

powered by weblio