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【北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信】
なぜGM大豆栽培に踏み切ったのか(前編)
- 西南農場 代表取締役 宮井能雅
- 第86回 2015年06月25日
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私は北海道長沼町で大豆・麦を栽培する入植3代目の農家である。
祖父は香川県出身で北の新天地に思いを馳せ教員、その後国鉄職員になった。50歳を過ぎたころから原野を開拓、不在地主でもあったので、GHQの命により多くの農地を強制売却することになった。
そのような過程を見てきた2代目の父は、決して反米に染まることなく、米国の影響力が強い戦後の1年ほどではあるが、国防の中核をなすべく警察予備隊に入った。68年に祖父から相続した5haで農業のスタートをきる。周りからは「宮井さんも私たちと同じ面積になったね」と仲間意識の強いお言葉をいただいた。
そして3代目の私は、農政の枠組みで粛々と生きていくことになる。
この地方では入植4代目や5代目が多いが、幸か不幸か農業に対するいやらしいしがらみなどは、親から学ばなかった。一方、農業先進国の米国、なかでも「ハート・オブ・アメリカ」である中西部の農業から学ぶことは多い。ただ、それを口に出すと反発がある。日ごろから米国、米国農業はすごいと言っているのだから「米国かぶれ」とお褒めの一つでも出てくるのは当然だ。その米国かぶれから見ると、本気に大豆を取り巻く問題を解決する気があるのか、大いなる疑問がある。日本かぶれの大豆生産者は日本の大豆の収量が50年間変わらないことに危機感はないのだろうか。
祖父は香川県出身で北の新天地に思いを馳せ教員、その後国鉄職員になった。50歳を過ぎたころから原野を開拓、不在地主でもあったので、GHQの命により多くの農地を強制売却することになった。
そのような過程を見てきた2代目の父は、決して反米に染まることなく、米国の影響力が強い戦後の1年ほどではあるが、国防の中核をなすべく警察予備隊に入った。68年に祖父から相続した5haで農業のスタートをきる。周りからは「宮井さんも私たちと同じ面積になったね」と仲間意識の強いお言葉をいただいた。
そして3代目の私は、農政の枠組みで粛々と生きていくことになる。
この地方では入植4代目や5代目が多いが、幸か不幸か農業に対するいやらしいしがらみなどは、親から学ばなかった。一方、農業先進国の米国、なかでも「ハート・オブ・アメリカ」である中西部の農業から学ぶことは多い。ただ、それを口に出すと反発がある。日ごろから米国、米国農業はすごいと言っているのだから「米国かぶれ」とお褒めの一つでも出てくるのは当然だ。その米国かぶれから見ると、本気に大豆を取り巻く問題を解決する気があるのか、大いなる疑問がある。日本かぶれの大豆生産者は日本の大豆の収量が50年間変わらないことに危機感はないのだろうか。
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宮井能雅 ミヤイヨシマサ
西南農場
代表取締役
1958年3月、北海道長沼町生まれ。現在、同地で水田110haに麦50ha、大豆60haを作付けする。大学を1カ月で中退後、農業を継ぐ。子供時代から米国の農業に憧れ、後年、オーストラリアや米国での農業体験を通して、その思いをさらに強めていく。機械施設のほとんどは、米国のジョンディア代理店から直接購入。また、遺伝子組み換え大豆の栽培を自ら明かしたことで、反対派の批判の対象になっている。年商約1億円。
北海道長沼発ヒール宮井の憎まれ口通信
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