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北海道馬鈴薯でん粉物語

北の大地に馬鈴薯が根づくまで

北海道は馬鈴薯の一大産地として知られる。その馬鈴薯からつくられるでん粉は食品加工の必需品となった。化学などの分野でも用途は拡がっている。江戸時代の栽培開始から現代まで、長らく生産現場を見てきた筆者が語る北海道馬鈴薯でん粉の「あのとき、このとき」、連載スタート。

刃物鍛冶屋が機械鍛冶屋に
転身しはじめたころ

我が国に馬鈴薯が導入されたのは元和元年(1615)以前とされる。寒冷地でよく生育することや貯蔵性に優れていることから次第に各地で栽培されるようになり、ヨーロッパと同じように飢饉時の食用として注目された。
北海道では宝永3年(1706)に瀬棚(せたな)町で栽培されている。明治時代になると、開拓使が寒冷地作物として目をつけ、積極的に栽培を推奨する。北海道では主食の水稲作は無理と考えられていたので力の入れ方が違っていた。馬鈴薯の場合、でん粉の加工ができることから、換金作物としても注目された。
事実、第一次世界大戦(1914~18)のときにはヨーロッパで食糧が不足していたことから、異常な高値で取引される。北海道の開拓農家は、経済的に潤い、ここで自給自足的な農業から脱却でき、北海道農業としての基盤が形成されることになる。
北海道は明治の当初から洋式農法を導入したと考えられているが、それは資金力の豊かな華族農場や財閥などの大規模農場に限られていた。一般の農家は明治の後期に入って開墾面積が増えるのに伴い、歩行型プラウや方形ハローを使いはじめる程度であった。日清、日露戦争を通じてが改良され、農家は耕馬を育成するとともに、軍馬の補充を兼ねていた。

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