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振り返れば、職業訓練所で習ったのは技術だけではなかった。「人にないものを身に付けろ」「人と違うものをつくれ」。職業訓練所の恩師、宮内先生の教えは、まさにモノづくりで生きていくための指針にもなる考え方だったという。
約20年間に同じ木工の分野でも建具から家具、店舗設備へとつくるものを変えていった。そのなかで切実に感じたのは、時代の変化とともに仕事がなくなっていく危機感だった。世の中にテレビショッピングやインターネットが普及し、定価より安く販売する通信販売などが台頭してくると、売り場にお金をかけなくなり、商売のやり方は必ず変化する。必然的に店舗設備の商売も先が短いことが見えていた。
次に何を手がけようか――。新しい商売を木工の分野でこれからも考え続ける暮らしを続けていくべきか。若いころと違い、40歳を過ぎた今城は思い悩んでいた。父が他界したのは、ちょうどそのタイミングだった。
「最初は農地を手放そうと思ったんだけど、ちょっと待てよ。食の世界って人類がいる限り続くのではないか。それなら面白いなと思った」
店舗設備がまだ順調だった93年に営農企画を農業法人として立ち上げ、端から法人として農業に参入することを決めた。
「若いときはとくに、苦労しないで儲けようという意識が我々にもあった。でも簡単に儲からないというのがだんだんわかってきて、人のやらない苦労をして利益を得ようという発想に変わっていかなかったら、成功できないよね」
手間のかかる畑のお肉
大豆を選んだ理由
折しも転作補助金の名目で大豆や小麦に手厚い保護があった時代である。発売されたばかりの1000万円超えの汎用コンバインを無借金で購入し、小麦と大豆の水田転作に力を入れた。周辺の農家には馬鹿にされたが、そこには農家を始めたのではなく、農業というビジネスを始めたという自負があった。
父の遺した4haからスタートし、作業受託を積極的に引き受けた。春の種蒔きだけ、耕うん作業だけ、収穫だけという部分的な受託はしない。春から収穫まで一貫して預けてくれるならやりますというスタンスを当初から貫いている。いずれの作業も先々の作業をスムーズに行なうための準備も兼ねているからだ。
当時の転作奨励金は高額で、丸投げするだけの作業料を払ってもいくらか残り、収穫物の販売による収益を加えれば、地主が損をすることはなかった。それゆえに奨励金目当てのソバや麦の捨てづくりも多かった。ましてや、汎用コンバインや乾燥機、クリーナーといった技術がなかった当時、大豆は相当な手間がかかるので、農家に敬遠されていたのだ。だが、今城の発想は違った。
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今城正春 イマシロマサハル
(有)営農企画
取締役専務
1945年北海道比布町生まれ。木材加工などの仕事に就いた後、1991年に農業生産法人(有)営農企画を設立し、農業経営者となる。約20年前に当時は珍しかった乾田直播に取り組むが、時代の変化を先読みして、麦・大豆の転作の作業請負で経営規模を拡大。耕作面積は受託を含め、約200ha(大豆70ha、ソバ100ha弱、小麦30ha、その他は野菜と委託作業)。差別化を図るため、約10年前から大豆を有機栽培に切り替え、東京のオーガニック専門店に卸し、トマトやカボチャは青果ではなく自社で加工して販売。今秋より加工工場(旭川)が稼働。
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