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成田重行流地域開発の戦略学

大島と緑の真珠


写真はカラーであるものの、古いカメラで撮影したものなので、色はかなりぼんやりしている。ただ、いやだからこそ、いずれの物体もその真ん中は真っ赤な点だけが際立っている。じっと見ていて、ようやく気づいた。赤いのはワニの口であり、細長い物体はワニの剥製(はくせい)だ。こいつを土産に100体だとか200体だとかを買い込んでいたという。何しろサラリーマンの何倍も稼いでいた漁師たちである。金の使い方も豪快なのだ。
ただ、時代とともに各国は排他的経済水域を設けるようになり、資源管理のために海外漁船を締め出すようになった。水上さんも活躍の場を遠洋漁業から近海漁業、さらには沿岸漁業へと移していった。
そのうち水上さんは観光船「俊洋丸」の運営を始めることにした。そのひとつは子どもたちを対象にした「無人島クルーズ」。大島からさらに太平洋側にある無人島を周遊しながら、「海の畑」と呼んでいる養殖場で採ったカキやホタテを船上で味わったり、釣りや船上でバーベキューをしたりする。この仕事は水上さんの新たな生きがいになった。
「とにかく子どもたちと遊ぶのは最高。大人と付き合っているよりずっといいよ」
都会の子どもたちにとってみれば得がたい楽しい経験である。水上さんの自宅には、参加した子どもたちから、次のような手紙が頻繁に届くようになった。
「水上さんへ 水上さんお元気ですか。ぼくは気仙沼小学校の五年生です。先日は、地引き網でおせわになりました。地引き網の指導や魚の話ありがとうございました。ぼくは魚の話を聞いて魚のことを深く考えるようになりました。では、これからもお元気でお過ごしください」
「漁師さんへ この間は、貴重な体験ありがとうございました。わたしは、船に乗ったことがなかったので、とても楽しかったです。漁師さんにはとてもおせわになりました。この時期は、スイカは高いのに、もってきてくれたり……。スイカとてもおいしかったです!! 地引網も初体験だったのでいい思い出になりました。本当にありがとうございました」

子どもたちが夢を託せる
先輩として

あの日、そうした思い出が詰まった大島の自然を津波が破壊した。そのショックは筆舌に尽くしがたい。破壊された自然を見ているのはあまりに辛い。だから、水上さんは大島を離れ、息子夫婦が暮らす千葉に移住しようと思うようになっていた。
水上さんがそうした悲しみの淵にいることを人づてに聞いた成田さんは、電話の代わりに手紙を何通も送ることにした。とくに書いたのは子どもたちのことだ。

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