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新・農業経営者ルポ

栗の新ブランドを立ち上げた57歳の決断

秋田県仙北市西木町が産地の西明寺(さいみょうじ)栗は「日本一大きい」といわれる栗だ。最大級ともなると鶏卵や赤子の拳大ほどもある。今回の主役が代表を務める赤倉栗園はそのブランド化の立役者。ただ、現在では自社で扱う分は「西明寺栗」ではなく「善兵衛栗」という名前を前面に出している。そのブランド戦略とは。 文・写真/窪田新之助、写真提供/赤倉栗園
武家屋敷が立ち並ぶ角館から田沢湖の西側を通って北に延びている秋田内陸線。角館駅を出発した、年代物というか老朽化したといったほうが正しいであろう一車両は、吹雪の田園地帯を心細そうに進んでいった。
15分ほどして到着したのは目的の八津駅。駅舎はなく、ただ小さなホームと、それにふさわしい待合小屋があるだけである。
ホームに停車した電車の扉の向こうに、事前に顔写真を確認していた赤倉一善が、分厚いダウンコートのフードを目深に被って待っていた。赤倉の自宅は駅から徒歩で3分ほどの距離にあると聞いている。ただ、あまりの吹雪に気を遣ってわざわざ車で迎えに来てくれたのだ。
すぐに到着した自宅の駐車場兼倉庫の奥にはスノーモービルが眠っていた。聞けば、自宅の周辺には経営する3haの園地が広がっていて、「これからの時期、このスノーモービルで園地に行って剪定をするんだ」と赤倉。この大雪のなかで剪定するのはさぞ大変だろう。ただ、それが赤倉栗園のブランド「善兵衛栗」を安定して作り出す秘訣ということを、この後に自宅でインタビューした際に詳しく教えてくれた。
赤倉栗園がある西木町は西明寺栗の産地として知られる。それなのに赤倉は、「西明寺栗」ではなく、「善兵衛栗」あるいは「西明寺栗1号」というブランド名で販売している。その理由に触れる前に、まずは同地の栗の歴史から話を始めていきたい。

秋田藩初代以来の
伝統を持つ西明寺栗

現在の西木町をその一部としていた北浦地方で、栗が大々的に栽培されるようになったのは、じつに300年前にもさかのぼる。そのルーツは兵庫の丹波地方と岐阜の養老地方にある。秋田藩の初代藩主となった佐竹義宣(よしのぶ)が両地方から栗の種子を取り寄せて、北浦地方で栽培を奨励した。それらがこの地に根付いたというのが通説だ。
佐竹公はなぜコメではなく栗を奨励したのか。赤倉はこう説明する。

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