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新・農業経営者ルポ

栗の新ブランドを立ち上げた57歳の決断


「善兵衛栗」か「赤倉栗園の西明寺栗」という名前は、差別化のためにどうしても残したかった。じつは誰もが知る大手菓子業者も赤倉に声をかけてきたことがある。だが、最終的に断わったのは、それらの名前を出すかどうかの明確な答えをくれなかったからだ。
価格についても譲るつもりはなかった。加工原料だからといっても最高品質の栗である。安く売るつもりはない。むしろ、赤倉栗園で皮むきなどの一時処理を請け負う分、生栗よりも高くした。それでも取引してくれたのが、くら吉だった。
くら吉は善兵衛栗で大福やマロングラッセなど多数の商品を開発。伊勢丹や高島屋などの有名百貨店でもそれらの商品を販売している。いまや善兵衛栗の名前は全国で見かけるまでになった。

カタクリと紙風船
地域おこしも一歩前へ

若いころに出身地の閉塞的な雰囲気を嫌って出ていった赤倉だが、郷土愛がないわけでは決してない。むしろ、「みんなが笑って暮らせる町づくりに貢献したい」と言い切る。そんな赤倉が注目しているのは栗園に自生するカタクリだ。
西木町ではゴールデンウィークにもなれば、辺り一帯の栗園は赤紫色の花で埋め尽くされる。赤倉の父の禮夫は角館のタクシー会社と契約して、カタクリが咲く時期になると栗園にタクシー客を引っ張ってきていた。それが口コミで広がり、花の咲く時期になると、他の栗園も含めて年間3万人ほどが訪れるようになった。
だが、11年3月11日に起きた東日本大震災で客足は鈍化。いまは3万人を切っている。
赤倉がその客足を取り戻そうと、12年に始めたのが「恋文コンテスト」。昭和生まれの世代をターゲットに初恋の相手に向けた恋文を募集した。
ただ、それだけでは面白くない。このイベントに結びつけたのが地元の民俗行事である紙風船。この民俗行事は、武者絵や美人画を描き、灯火を点けた巨大な紙風船を2月の夜空に打ち上げるもの。伝説によれば平賀源内が銅山の技術指導に訪れた際、熱気球の原理を応用した遊びとして伝えたという。
雪がこんこんと降るなかを舞い上がっていく灯火のついた紙風船は幻想的で、来場者数は毎年1万人を超える盛況ぶりである。この紙風船に募集した恋文を書きつけることにしたのだ。これが還暦を過ぎた人たちに受け、毎年60人前後が応募してくる。また、恋文を記した紙風船を見にくる人も増え、いまやすっかり恒例行事になっている。
ところで赤倉がいま抱えている悩みは後継者がいないことだ。「善兵衛栗」のブランド化や加工事業、カタクリと紙風船による誘客産業はまだこれからである。西木町で誕生したそうした農業や農村の資源を活用する会社を興せないかとも考えている。農業を始めて10年、模索の日々は続く。         (文中敬称略)

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