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新・農業経営者ルポ

受け継がせたいのは、誇りごと。

 西山は加工のための人件費や設備への投資をし、2年かけて市況低下の損失を自主回収した。しかし価格安定制度があるために、多くの農家はそんな工夫や努力をしなくなってしまうのだ。

 それだけでなく西山は、切り干しダイコンのパックを商品化することで、通年雇用を保証する作業を生み出した。逆にそれで季節性のあるダイコン経営を安定化につなげたのである。

 ダイコン生産は畑で質の高い作物を作ること以外に、洗浄・選別工程の合理化が経営を左右する。それだけに調製ラインにも、西山の工程管理の工夫が満ち溢れている。

 ダイコン表面に土が残りやすい赤土での栽培ゆえに、畑で収穫してきたダイコンは、まず軽トラックごとシャワーで水をかけ、できるだけ土を洗い流す。これによって、後の洗浄作業が容易になり、その行程に要する時間を減らしているのだ。ここでの滞留があっても支障が出ないように、四駆の軽トラックは7台用意している。

 洗浄ラインも既成の機械設備をただ並べているだけでない。機械の組み合わせ方やハンドリングの工夫に満ち溢れているのだ。

 切り干し加工を行なう千切り機も、西山がメーカーに特注して作ったものだ。千切り機へのダイコンの投入から搬送、収納まで、あらゆる工程で人手を省く工夫がなされている。


先人に学び、励まされた少年

 西山は静岡大学農学部で植物病理学を学び、卒業とほぼ時期を同じくして、父・作から経営を承継している。作は今でも現場で活躍しているが、西山の代わりに現場を仕切る片腕という存在だ。

 西山は、72歳の作が元気でいるうちはいいが、やがてそれが適わなくなった時のために、西山の腹心になれるスタッフを養成しなければならないと考えている。そのために農場の法人化の必要性も感じ始めているという。

 子供時代から農業を手伝い、農業高校で実学に勤しんだ西山であればこそ、植物病理学の研究室に入ってから栽培や実験で頭角を現した。教授からも大学に残ることを期待されたようだ。作が農業を継げと言わなかったのもそんな西山を見ていたからかもしれない。しかし、西山は何の疑いもなく実家の農業を継ぐことを選んだ。

 作はまだ大学生の西山に将来の経営方向を相談した。昔からの漬物ダイコンの収益性が落ちてきて、それ以後の経営方針を作自身決めかねていたからだ。西山は生食ダイコンにすべきだと自分の意見を述べた。この時、父は心のなかで手を打ったのではないだろうか。それまで何も語らず求めもせずにいたのに、息子は父や祖父が取り組んできた家業を継ごうとしていることが確認できたのである。

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