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新・農業経営者ルポ

受け継がせたいのは、誇りごと。

 多くの人々が、移植機の登場とともに作業が容易になった葉菜類の栽培に転換していくなか、作は自信を持って生食ダイコンの生産に転換した。そして、西山の大学卒業とほぼ同時に経営を譲った。

 西山は県立渥美農業高校を卒業している。同校は、水もなく痩せた渥美半島に入植した人々が、その夢を次世代に託すことを願って設立した高校である。ちなみに作も同校の卒業生だ。

 高校時代の西山は、ブラジルに移民して成功した農家たちを訪ねたり、文化祭では卒業生たちの農業者としてのチャレンジを伝える展示をしたこともある。父、そして祖父の生き様を見て育ち、農業を単なる暮らし方や職業としてだけでなく、係累に続く開拓者の生き方としてとらえ、憧れていたのかもしれない。ブラジルでホームステイした夏の1カ月間の感激、自ら取材して回った農高の先輩たちの生き方。それらは皆、彼のなかの開拓者としての血に火をつけたのだろう。

 大学時代には、全国の農学部学生で組織する農業問題研究会に所属した。そこで本誌執筆者の一人である叶芳和氏の『農業・先進国型産業論』をはじめとする一連の著作に触れ、感激した。村と村人の現実を知っている西山には「そんなに簡単にいくのか?」という疑問もあったが、そこに書いてあるストリーは、若い西山に農業への夢をさらにかき立てるものになった。

 そして今、叶氏の予言は現実化している。同氏の一連の著作は段ボール箱行きになることもなく、西山の書棚に今も並んでいる。さらに本誌定例セミナーでの叶氏の講演をダウンロードして聴いたことを機に、西山が事務局役を務める田原市農業懇話会のセミナー講師として同氏を呼んだりもしている。


退路を断ち、未来を創る者

 かつて貧しい農村だった田原市は、一戸あたりの農業生産額で全国でもトップクラスの地位にある。菊に始まる各種の花卉栽培やハウス野菜、露地野菜など、畜産と水稲部門を除くあらゆる部門で、市場の高い評価を受けている。

 しかし、この強さ、豊かさのなかにこそ、危うさが秘められているのではないだろうか。これからも力強い発展を続けていけるか否かは、開拓者の意を継ぐ西山のような者たちの意識にかかっている。地域の農協もまた、現在の地位に甘んじ、自らの改革に取り組むことがなければ、やがてその地位は失われることだろう。

 渥美の農業を創ってきた先人のたくましさやチャレンジ精神、たゆまぬ改革の意思。それは人々や農協組織に今も持ち続けられているのだろうか。

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