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新・農業経営者ルポ

「次は農業界で日本代表になるぞ!!」

かつて関西地域でサッカーをしていた人であればその名を知っているかもしれない。重義幸(37、京都市)、彼は中学で京都選抜、関西選抜、ジュニアユース日本代表、高校でも京都選抜で鳴らした。大学を経て、就職したトヨタのディーラーではメーカー表彰(注:全国規模の表彰)を受けるまでに車を売りまくった。そして、30歳で九条ネギ農家になると、昨年度は年商1億4000万円を記録する。目標は農業界で日本代表に従業員のみんなでなることと公言する彼の半生を追った。 文/山田貴大、撮影/永井佳史、写真提供/株式会社京都知七

貧乏と与那城ジョージ

重は、中学から高校にかけて、サッカーの京都選抜の常連だった。高校進学に際しては全国区の強豪校やJリーグの下部組織から声がかかる。しかし、最終的に選んだのは地元京都の公立校だった。
「10歳のとき、親にサッカーをやらせてくれと頼んだんですよ。そしたら体育の授業でやれと言うんです。なんでそんなやりとりになるのかっていったらうちが貧乏でね。チームには入ったんですけど、スパイクも満足に買ってもらえませんでした。突起がなくなったつるつるのスパイクの裏を彫刻刀で彫って、ぶつぶつとさせて長持ちさせたりしてね。貧乏だったから考えることが多かったんです。高校については、自分が中学に行っている間にスカウトの電話が自宅にかかってきたらしいんですけど、カネがないってことでおかんが勝手に断りよって。まあ、こういう貧乏根性があるからいまがあるのかもしれないですけどね」
大学もスポーツ推薦で入学する。3つくらいのアルバイトを掛け持ちしながら、なんとかサッカーを続ける生活だった。そんななか、人生に大きな影響を与える人物と出会う。3年の春、ブラジル出身の日系二世である与那城ジョージが監督に就任したのだ。与那城はJリーグの監督経験もある指導者だった。
「ブラジルのサッカーって遊び心があるじゃないですか。でも結果は残すみたいな。練習もがらっと変わって楽しくなりましたけど、そのやり方で関西学生リーグの1部に昇格しましたからね。ジョージさんは人を乗せるのがものすごくうまくて、それはいまの従業員を抱えた農業でも生かしています。農業なんで結果は絶対に要るんです。結果がなかったら従業員を食わせられないし、規模も大きくできないですよね。ただ、結果ばかり求めるとしんどいだけです。かけがえのない1割や2割のために8割しんどいことをする。そういった要素をジョージさんから学びました」

トヨタでメーカー表彰も
30歳で九条ネギ農家に転身

誰しもが過去の成功体験のおかげで、苦難を乗り越えられた経験を持っているのではないだろうか。重も、サッカーを通じて得た自信の欠けらをかき集め、自身を奮い立たせてきた。それを象徴するエピソードが就職後の場面にある。

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