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「京都の祇園で飲み屋に配達のアルバイトをしていたときの話なんですけどね、お店にトヨタの販売会社の社長がいたんです。その席に呼ばれて社長を笑わせていたら、面接に来いとなって就職できることになりました。当時は世間知らずで、髪の毛にはメッシュを入れて、俺なんでもできるわという感じで面接に行きましたからね。でも、俺以外は頭のいい人ばかりですよ、すぐに窓際族です。ただ、行動力ならこいつらに負けへんと思って、一軒一軒ピンポンしたり、コンビニに停まっている車にも声をかけたりしましてね。なんでもしました。そしたら会社で入社1年目から退職するときまで賞という賞を総なめして、退職3年前と最後には全国で一番になってメーカー表彰までされました」
28歳になるときには当時の店長から副店長候補に名前が挙がっていると聞いていた。名誉なこととはいえ、あくまでここはトヨタの器の中として、その後の人生を思い悩んでいた時期でもあった。そんなある日、取引先の社長から言われた言葉で心が決まる。
「お前はここにおったらあかん。もっとできる」
じつは重にはやりたいことが二つあった。一つは警察官、もう一つは農業だ。これは重が慕う祖父の歩んだ道でもある。祖父は警察官を務めながら、兼業農家をしていたのだ。警察官の採用試験には年齢制限があり、まずはこれを目指すことにした。ところが、筆記などの各種試験にはパスするも、目の色覚異常が原因で断念することになる。
途方に暮れた重の目の前には地域特産の九条ネギの畑が広がっていた。しばらく眺めているとその畑の持ち主から声をかけられる。後に重の師匠となる人物だった。
「農業でどんだけもうかるかなんて考えていませんでしたよ。ただ、九条ネギの姿に勢いを感じたんですよね。これおもろそうやな、俺もやりたいなと思っていたときに声をかけられて、その場で修行をお願いしました」
熱意と行動力、計画性があれば、絶対に結果が残せるとサラリーマン時代に実感できたことが農業を始める後押しになった。しかし、農業は口だけではごまかしが利かない。技術は師匠から学んだ。それと同時並行で1年目から自身の生産物の販売まで手を伸ばす。これは、師匠が農地を貸し与えてくれ、肥料代まで立て替えてくれるなど、親身になって面倒を見てもらえたことが大きい。
以後、2008年の就農から徐々に経営規模の拡大と従業員を増員するなか、昨年度は年商1億4000万円を記録するに至った。
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重義幸 シゲヨシユキ
(株)京都知七
代表取締役社長
1978年、京都市生まれ。小学4年でサッカーを始め、中学から高校の6年間、ゴールキーパーで京都選抜に選出される。中学時代は関西選抜とジュニアユース日本代表にも名を連ねた。京都府立洛北高校ではインターハイにレギュラーで3年間連続出場する。京都産業大学卒業後、ネッツトヨタ京都株式会社に就職し、営業実績を評価されてメーカー表彰を受ける。30歳で九条ネギ農家に転身し、2019年の年商3億円の達成に向けて従業員共々邁進している。京都府農業法人経営者会議理事。
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