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成田重行流地域開発の戦略学

危機は好機(上)

成田重行さんが岐阜県飛騨市の観光や特産品の開発に携わったのは20年近く前。きっかけは地元の一大産業であるスキー場の衰退である。「環境の変化こそ動き出す好機」と主張する成田さんは、地域の有志とともにスキー場とは逆の発想で新たな誘客産業を興していくことになった。文・写真/窪田新之助
奥飛騨にある飛騨市神岡町へは東京から公共交通機関で訪ねると6時間前後を要する。名古屋駅でJR東海高山本線に乗り換えて北上し、高山駅で降車してからはバスでさらに1時間近くかけて山を越えていく。そんな山間にある町だが、古くから時代の新しい風に触れてきた。
現代においては東京大学の小柴昌俊名誉教授や梶田隆章教授というノーベル物理学賞の受賞者を輩出した町として有名だ。二人が素粒子ニュートリノを観測してきたカミオカンデは、最新鋭の装置での実験開始が2025年に予定されており、ますます科学界における注目度は高まるばかりである。
小柴名誉教授がカミオカンデの施工を計画するにあたり神岡町を選んだのは、この地の岩盤がコンクリートの5倍ほどの硬さを持つという「飛騨片麻岩」で覆われ、ニュートリノ観測地として地下空間が安定していたからだ。加えてこの岩石には亜鉛や鉛、銀が含まれる。そのため、ノーベル賞で脚光を浴びる以前の神岡町といえば、2001年に閉山されるまで東洋一とうたわれるほどの規模を誇った鉱山の町だった。
当時を知る地元の人に話を聞くと、そのころの神岡町はそれこそ大都市に並び立つほどにぎわったそうだ。東京・銀座のショーウィンドーで人目を引く服飾がこの山峡にも当たり前に売られている。あるいは新作映画は東京より早く封切られる。そうした栄華の名残は、たとえばかつての遊郭街に立つ待合茶屋跡や料亭跡に見られる。

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