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我が国の米政策はなぜこうなったのか

ウルグアイラウンド合意前後の農政改革と政治情勢

1986年に始まったガット・ウルグアイラウンドは、7年以上の交渉の末、細川護煕首相が93(平成5)年12月14日未明に記者会見し、合意の受諾を発表した。その際にコメの関税化を6年間猶予する代償として受け入れたミニマムアクセス(MA)米について「断腸の思いの決断だった」と述べた。欠乏から過剰へと社会が変化するなか、この時点ですでに国による全量管理と厳格な流通規制による食管制度はすでに行き詰まり、従来の農業政策とのギャップが広がっていた。その一方で、世界的に市場開放は待ったなしの状況にあり、政治情勢では自民党一党支配の崩壊時期と重なり、政策決定は混迷を深めた。米政策は何をきっかけに改革の糸口を見つけられるのか。この外圧が米政策にどのような影響を与えたのか。過去30年間にわたる米政策の転換をめぐる議論と問題の本質を振り返る連載の第2回目のテーマは、ウルグアイラウンド交渉前後に焦点を当てた。元農林水産省審議官の針原寿朗氏と、日本経済新聞社主任研究員の樫原弘志氏を迎え、引き続き、当事者としてかかわった「証言者」に米政策の舵取りについて裏話を聞いてみようと思う。(昆吉則)
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