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人生・農業リセット再出発

稲むらの火

清国がアヘン戦争で英国に屈し、欧米列強はアジアを植民地化して次は日本を狙っていた江戸時代末期、銚子のヤマサ醤油7代目、濱口梧陵(ごりょう)は、開国論者の佐久間象山塾で吉田松陰、勝海舟、福沢諭吉、坂本龍馬らと門下生になる。濱口はヤマサ分家の和歌山県有田郡広村から12歳で養子に来た。紀州の故郷は750年続く醤油発祥の地。
黒船来航の翌年1854年12月23日朝9時、34歳の濱口が海防の民間防衛組織を結成して広村の青年たちを教育しているとき、紀伊半島沖で大地震発生。津波を恐れて村人を高台に避難させて神社に泊まらせた。
翌日夕方4時半、冬空が暗くなったころ、立っておれない激震が再び襲う。瓦が飛び、塀は倒れ、ほこりが煙のように空を覆い、不気味な雲が金色の光に染まって物の怪が天空から襲ってくるようだった……と記録にある。想像を絶する大津波が闇の海原から山の高さになって襲ってきた。
関東や東海にも甚大な被害を出した安政南海大地震。伊豆ではロシア軍艦が沈没し、大工たちが善意で船を建造して軍人500人を帰国させている。この出来事を“耳無し芳一”等を『怪談』に書いた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、生神様・五兵衛の活躍として創作、海外で出版した。それを広村出身の小学校教員、中井常蔵が翻訳し、「稲むらの火」として国定教科書に採用された。

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