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江刺の稲

地主の末裔たちが農業をリードしている

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第245回 2016年10月12日

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僕は30数年前から、取材する農家の方に農家としての出自を聞いてきた。すべての方に聞いたわけではないが、その多くが地主あるいは自作農の孫ひ孫たちだった。もちろん、小作出身ですばらしい経営者もおられる。でも、僕が“農業経営者”と呼ぶ人々、あるいは農業・農村の現在を担う人々の大多数は地主か自作農の末裔だと言っても間違いではないだろう。
出自だけで人々の資質を比較することの問題性は十分理解しているが、なぜ農地改革で農地を失った在村地主階層の末裔たちが現在の農業をリードしているのか。そして、結果として農地改革で失った農地を地主の子孫たちが小作者として改めて集積している理由を農業関係者は問い直してみるべきである。
その検証を通して、我が国の農業政策の根本にある農地改革イデオロギーあるいはそれに基づく「農地法」を根本から問い直すべき時代が来ているのではないか。同時に、現在の小農を温存させる政策から農業経営者に焦点を当てた政策に転換すべきだと思う。
さらに、農地改革と同時進行的に成立してきた戦後の農業協同組合の初代の組合長たちの多くは農地改革でわずかな自作地を残して二束三文で農地を買いたたかれた元地主たちである。インフレが進む時代にタダ同然の形で農地を奪われたと当時の地主たちは思ったはずだ。そんな農地改革を経たにもかかわらず次代の農村リーダーに元地主たちが民主的に選ばれていったのはなぜなのか。

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