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成田重行流地域開発の戦略学

山村の分校再生物語 山形県金山町(上)

いま農山漁村で廃校となった小学校が見直されている。旧校舎を活用して集荷場にしたり、グリーンツーリズムの舞台にしたりとさまざまだ。その先駆けといっていいのは、山形県北部の金山町にある「四季の学校・谷口」。20年前、成田重行さんが携わったその現場を訪ねた。 文・写真/窪田新之助

イザベラ・バードが
愛した金山

JR東日本の新庄駅は山形新幹線の終着駅。10月終わりに降り立つと、辺りに広がる山々はすでに紅葉真っ盛りだった。成田さんとこれから向かう金山町は北の峠を越えた先にある。
「この先にイザベラ・バードが紹介した美しい景色があるんです」。車に乗って10分ほど経ったころ、峠の登り口付近で成田さんが教えてくれた。向こうに「金山町」という町の玄関口を示す看板が見えてきた。
イザベラ・バードというのは19世紀の大英帝国時代に活躍した旅行作家。アメリカやカナダなどを旅した女史は、1878年には明治維新から間もない日本にも来ている。女史は通訳兼従者の伊藤鶴吉とともに訪ねた山形置賜地方を「東洋のアルカディア(理想郷)」と呼んだ。このときに金山町も通り、著書『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー)でそのときの印象を次のようにつづっている。
「今朝新庄を出てから、険しい尾根を越えて、非常に美しい風変りな盆地に入った。ピラミッド形の丘陵が半円を描いており、その山頂までピラミッド形の杉の林で覆われ、北方へ向かう通行をすべて阻止しているように見えるので、ますます奇異の感を与えた。その麓に金山の町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である。私は正午にはもう着いたのであるが、一日か二日ここに滞在しようと思う。駅亭にある私の部屋は楽しく心地よいし、駅逓係はとても親切であるし、しかも非常に旅行困難な地域が前途に横たわっているからである」(高梨健吉訳)
私は今回の取材旅行から戻ってからこの記述を読み、初めて目にした金山町の景色がありありと脳裏に浮かんできた。車で上台峠を下っていくと、すぐに左手にとんがり頭が印象的な金山三峰が目に飛び込んでくる。その麓に広がるのは水田である。日本の原風景といってもいい一つの典型的な農山村がそこにはあった。

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