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成田重行流地域開発の戦略学

地域をつなぐ新聞店 東京都新宿区

地域開発プロデューサーである成田重行さんと旅に出るのも今回が最後である。最後の旅といっても、場所はどこか遠くではなく、内藤とうがらしが生まれた東京都新宿区。区内のとある新聞店がいま、成田さんの活動と連携しながら、八百屋や農産物の宅配サービス、全国の特産品の通信販売といった仕事を始めている。いったいどういうことなのか。 文・写真/窪田新之助

店舗の空き時間を
活用できないか

都内にも冬らしい寒さが訪れるようになってきたある日の昼前、JR大久保駅からほど近い百人町の大通りに面した新聞店の店先で、一人の若い女性が野菜や果物を売っていた。女性は割烹着やエプロンを身に着けて颯爽と、訪れた客にその野菜の特徴をてきぱきと伝えている。その説明をこっそり耳にしていると、並んでいるのはどうやら都内で収穫されたものばかりのようだ。
辺りはのっぺりとした建物や開店前のエスニック料理店が立ち並び、目の前では車がひっきりなしに行き交うようなところである。どこか殺風景な雰囲気にあって、色とりどりの野菜や果物が並んでいる様子を目にするとほっとする。
ここは日本経済新聞社の今田新聞店。左右ともぎっしりと建物が押し並んでいるから、入り口は狭いものの、奥行きはそこそこ。許可を得て奥に入っていくと、新聞やチラシが積んである。まさに新聞店だ。それがなぜ農産物を販売しているのだろうか。
「ここは新聞店だから、店舗として利用するのは早朝と夕方の新聞を配達する数時間だけなんです。それ以外の時間となれば、店先は閉めてしまっている。歩いている方とか、周りの方とか、ここはなんの店なんだろうと思っていたはずなんですね。ここが新聞販売店なんだと気づく人はほとんどいないわけです。それではさみしいから、昼間の人通りの多い時間に何かやれることないかなと前から思って始めたのが八百屋だったんです」
こう語るのは新聞店社長の今田救士さん。祖父の代からこの地で日経の新聞店を開業してじつに80年にもなる。これは全国に展開する日経の新聞店のなかでも最古参だそうだ。

背景にある
新聞業界の衰退

今田さんが店舗の空き時間の利用について考え始めたのには、新聞業界が衰退していることも理由としては大きい。周知のとおり、国内で発行されている新聞の部数を見ると右肩下がり。新聞協会によれば、2000年に入ってからでも、同年の5370万部から2016年には4327万部にまで落ち込んでいる。かつて新聞社に勤めていた筆者の記憶によれば、新聞社は売り上げのうち6~7割を新聞の販売でまかなっている。

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