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新・農業経営者ルポ

比内地鶏の歴史を創ってきた家族

 しかし今、広一の長男であり、黎明舎種鶏場の社長を務める佐藤義晃は、認証制度という行政の圧力があるなかで、大きな岐路に立っている。生産者への雛供給の責任から、畜産試験場系統の雛生産も止むを得ないという苦渋の選択を迫られているのだ。秋田高原フード以外で黎明舎の雛を使い、ケージ飼いに取り組んでいた生産者も、県の認証を得るために、畜産試験場系統の雛を使っての平飼いに転換しつつある。彼らはもともと、品質向上と安全を考えてケージ飼いにした専業的な経営者たちである。もし秋田高原フードまでもがその流れに従ったとしたら、本物の比内地鶏の食味を求める需要者を裏切ることになってしまう。

 信子、智哉、智子の3人は、昨年10月からの「偽装事件」発覚や「認証制度問題」の対応に忙殺されながらも、顧客のために黎明舎の比内地鶏の伝統を守り抜くことを誓い合った。経営の責任者であればこそ信子には迷いもあった。しかし、広一の孫である智子と、その夫で各地を営業で飛び回り、県との交渉を担ってきた智哉の決意は、揺らぐことがなかった。むしろこの事件があって、智子も智哉も、家業を継いだことの意味や秋田高原フードの責務を改めて自覚しているのである。


父の病が結び付けた二人の後継者

 養鶏一家の子供として生まれた智子であるが、まさか自分が家業を継ぐとは思ってもみなかった。神奈川県内の大学へ進学し、そのまま東京で食肉関係の商社に勤めた。就職した先が食肉関係だったのは偶然に過ぎない。

 一方、智子の大学の先輩にあたる智哉は、物流の仕事に就いていた。

 そんなある日、智子は信子から、黎明がガンで余命が半年もないことを告げられる。智子はすぐに故郷に戻った。一方、話を聞いた智哉は、智子との結婚と、秋田高原フードへの転職を決意した。創業者の広一を陰で支えてきた祖母・ミエ子(91歳)の「男のいない会社にしてはならない」という言葉も、その思いを後押しした。二人は身内だけの小さな式を挙げ、その1カ月後、黎明はこの世を去った。

 筆者の取材中にも、栃木の智哉の実家から電話があった。預けられた二人の子供たち、そして智哉の母と、智子、智哉そして信子がかわりがわりに電話口に出る。電話での会話そのものが、家族関係の温かさを感じさせるものだった。


ブランドとは顧客が決めるもの

 信子たちはもう、県の「認証」を得ることのためにエネルギーを使うことを止めようとしている。顧客や取引先の評価にかけてみようと考えているからだ。

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