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木内博一の和のマネジメントと郷の精神

「農協のどこが悪いのか」

経営が成り立たないのは農協のせいだ。そう責任転嫁するのは容易い。では、農協のどこが悪いのか? そんな農協を必要としているのはいったい誰なんだ? 考えて見て欲しい。問題は、その存在ではない。悪要因の8割は我われ農家にあるのだ。
 最近とかく、「農協のどこが悪いのか」という主旨の取材を受ける。農家からかんばしくない話が漏れ出ているせいであろう。

 だが、答えは「何も悪くない」につきる。

 農協の3事業である、経済(購買・販売)、信用(金融)、共済(保険)のどれをとっても、よくできている。一農家が複数のメーカーからいちいち、機械や資材を仕入れるのは大変だ。農協の購買事業は便利だし、共済事業も同業他社の保険商品と比べてメリットは大きい。農産物の販売手数料にしても、自分で営業、物流、決済をやることを考えれば、かなり割安だ。様々な手続き代行をしてくれたり、融資の相談が出来る信頼のおける事業者の存在は得難いものだ。

それが悪くいわれるのはなぜだろう。

 農協は農家が相互扶助のために作った組合である。そもそも組合とは独立した事業者が集う組織だ。自分の事業がうまくいかないからといって、組合が悪くいわれる筋合いはない。問題は組合の存在にあるのではなく、組合員が独立していないことにある。農家が未熟で独立性が低ければ、相互扶助の目的のために農協は機能を大きくし、職員を多く雇わざるを得ない。そう考えてみると、悪要因の8割は農家にある。いうなれば、農家は自ら、便を求めて農協機能に依存し、いわば“大きな政府”を支持してきたといえる。問題は、農協という組織を自ら肥大化させてきた農家が、いまになってその存在を儲からない言い訳に使っていることにある。

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