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坂上隆の幸せを見える化する農業ビジネス

動けばわかる



 だがある日、市場に店を出している親子がケンカする姿を見かけた。父親は子供に店を任せて悠々自適に暮らしており、それに対して息子が「このクソ親父、俺に全部やらせやがって!」と毒づいていた。私はそこに家族の絆を垣間見て、激しい望郷の念にかられた。当時、一人暮らしで、家の電気はいつもつけっぱなし、暗い一人の部屋に帰るのが心底いやだったからだ。

 そうして当面の目標としていたある試験に落ちたこと、祖父が体を壊したことなどが重なり、家に戻った。様々な経験と思考のもとで、農家である親父と一緒に農業をやり、前の世代がやってきたことを受け継ぐことが己の生きる道であるという結論に至ったのである。


日付けで生きる

 その14年後の2006年、さかうえは2億80000万円の売上を達成した。組織は順調に回っていたし、それまで練り上げてきた段取りにおいてひとつのピークに達したと言っていい。しかし私は、形ができたことで、逆に不安を抱くようになった。限界を感じていたからだ。「事業」として儲ける仕組みはある程度体得したが、「会社」として経営をどうすればいいかわからなかった。

 そこで、不安を払拭するために私が実践したのは「日付で生きること」だ。普通は何か目的があって、それを達成するために努力していく。私もそうして生きてきたし、そうでなくてはならないと考えていた。だが、その考え方を一旦リセットした。たとえばかかわりのある人物に「セミナーに来ませんか」「農業法人協会に参加しませんか」「輸出視察ツアー行きませんか」などと誘われたら、二つ返事で「行きます」と即答した。経営を勉強する学校はないが、いろんな人と出会い、話すことで学べることはたくさんあるはずだ。

経営者の仕事とは、ビッグピクチャーを描くことだと思う。しかし「宇宙の広さを聞かれて、どれだけ思考できるかで宇宙のサイズが決まる」と言われるように、人間は思考の広がり以上にものごとを実現することはできない。私の思い描いていたビッグピクチャーと事業の内容がほぼ同じになってしまったことで、それ以上のもの、次に何をするかが見えてこなかった。
 あらゆる勧誘を理屈抜きで受け入れて、スケジュールをどんどん埋めていった。すべてはビッグピクチャーの枠を広げるためだ。集まりに参加して学び、外国へいって学ぶうちに、抱えていた不安は消えていた。足りないもの、やらなければならないことがわかってきたからだ。色々なパターンの経営者がいたが、共通点はやるべきことを一つひとつ積み重ねてきたことだった。あれもしたい、これもしたいと頭に思い描くだけで終わらせない。現実のスケジュールに落とし込んで時間を確保してしまうのだ。

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