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「梁山泊」での出会いがきっかけ
1996年総選挙であえなく落選された山田正彦農水大臣は、議員宿舎から洋服屋だった神田のしもた屋に移られて、「梁山泊」の看板を掲げられた。明治の初期、早稲田の創設者、大隈重信が東京の私邸に若手官僚を集めて政談にふけった故事を、早稲田出身の山田大臣がならったのかもしれない。
筆者も、その「梁山泊」によく通った。政談なんかまるで興味がなかった。大臣の地元支持者(長崎県五島列島)が送ってくる魚が目当てだった。冬になると、地元の支持者がたっぷりと脂ののった新鮮な鯖をたっぷりと送ってくる。ある時は、発砲スチロールの箱に30本近くも送られてきたことがあった。
「これを五島ではしゃぶしゃぶにして味わうのだよ」
不器用そうな大臣が、鰹出汁のスープをたっぷりと入れたしゃぶしゃぶ鍋に、短冊に切った大根と、薄造りにした鯖をさっとくぐらせ、客人に、「これが五島名物の鯖しゃぶだよ」と振る舞ってくれた。いろんなものを食べてきたが、素朴な料理ながら、ホントに美味しかった。
その「梁山泊」に、「農水省に面白い方がいらっしゃいますので、今度、ご自宅にご案内しますよ」とお連れして引き合わせたのが、当時、農林水産政策研究所に移られて間もない篠原孝さんだった。管直人政権で農水副大臣になられた、あの篠原さんである。今から10年ほど前のことになる。
篠原さんは、2003年総選挙に出馬される。その報を耳にして、ちょっと無謀かなと心配たこともあったが、そんなものは吹っ飛んでしまった。日頃からとても愛郷心の強い方で、役人生活に見切りをつけて、案の上、選挙区では自民党候補に僅差で敗れたものの、比例区で見事に復活当選された。昨年8月の総選挙では念願の選挙区での当選を果たされた。
代議士になられてからは、あまりお目にかかる機会はなかった。別に敷居が高くなったというわけではなく、お忙しそうにしておられることをメディアで拝見するに及び、つい声をおかけする機会を逸しただけである。
その篠原さんが、山田大臣の下で副大臣としてお仕えになられると知って、「へぇ~、こんなことってあるんだな~」と驚き、10年も前の「梁山泊」でのお二人の出会いのことを感慨深く思い出したりもした。お二人には失礼だが、外見も中身もボワァ~としたところがあるものの、ずいぶんと似て非なるところがあるように思う。
ひとつは、スケール感に差があること。山田大臣は、盃を重ねるにつれ、デッカイ夢物語を身振り手振りで熱っぽく説明しておられた。今でも耳にこびりついているのは、日本海のド真ん中にネットを張って、巨大養魚場を作るんだという話である。さすが幼少の頃より海ばかり見ていたら、思いつくこともスケールが違うなと妙に感心したことがある。
その篠原さんの人となりは、ご自身のブログにも書いておられるように、「朝コケコッコーの声で起きてしまうこともありました。残飯が主な餌で、今高騰している輸入飼料穀物などありませんでした。 家で作ったとうもろこしを乾燥させ、冬仕事に、機械に上から突っ込みグルグル回すと粒が取れていく。自給飼料造りでした」という素朴な話が多い。
篠原さんは、信州・中野市生まれ。海で育った方と、山で育った方のスケール感の発揮の仕方は違うものだなと妙に感心してしまった。
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土門剛 ドモンタケシ
1947年大阪市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科中退。農業や農協問題について規制緩和と国際化の視点からの論文を多数執筆している。主な著書に、『農協が倒産する日』(東洋経済新報社)、『農協大破産』(東洋経済新報社)、『よい農協―“自由化後”に生き残る戦略』(日本経済新聞社)、『コメと農協―「農業ビッグバン」が始まった』(日本経済新聞社)、『コメ開放決断の日―徹底検証 食管・農協・新政策』(日本経済新聞社)、『穀物メジャー』(共著/家の光協会)、『東京をどうする、日本をどうする』(通産省八幡和男氏と共著/講談社)、『新食糧法で日本のお米はこう変わる』(東洋経済新報社)などがある。大阪府米穀小売商業組合、「明日の米穀店を考える研究会」各委員を歴任。会員制のFAX情報誌も発行している。
土門辛聞
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