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人生・農業リセット再出発

100年前の恩を忘れない遠い国の人々

「本州最南端の町、串本市の上空をただいま通過中です」と機長のアナウンスが流れる。「市ではなく串本町ですよ!」と、すぐにコックピットに連絡を入れるが、時速1000kmで上空1万mを飛行中とあって、紀伊半島南端の潮岬はあっという間に後方に流れていく。

 「本州最南端の町、串本市の上空をただいま通過中です」と機長のアナウンスが流れる。「市ではなく串本町ですよ!」と、すぐにコックピットに連絡を入れるが、時速1000kmで上空1万mを飛行中とあって、紀伊半島南端の潮岬はあっという間に後方に流れていく。

 1985年3月17日、イラン・イラク戦争が激化し、イラクのサダム・フセインは、イラン上空の航空機を48時間後に無差別撃墜すると宣言した。イランに残っていた日本人216名は恐怖におののいた。日本政府は危険すぎるからと自衛隊もJAL救援機も派遣できないまま、時間はいたずらに流れた。ところが絶望の空に一機のトルコ航空機が姿を現し、イランの首都テヘランにあるメーラバッド空港へ着陸してきた。その飛行機は大急ぎで日本人全員を乗せて離陸し、攻撃開始1時間15分前に危機一髪の脱出劇を成し遂げる。救援機にすぐ乗務できるよう日本でスタンバイしていた我われは、中東の隣国同士だからそのような芸当ができたのだろうと軽く考えていたが、数年後、トルコ大使に会った時に当時のいきさつを聞いて驚いた。

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