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特集

菅野祥孝(スガノ農機(株)相談役)氏を悼む

去る7月15日、スガノ農機(株)相談役の菅野祥孝氏が亡くなった。氏は生前、「積年良土」というテーマで数々の講演を行なってきた。農作物の生産のために多大なるエネルギーが消費される現状を憂え、脱売上思考、脱化学肥料万能思考、脱土壌消毒、脱過粉砕、脱収奪・荒廃といった考えを包括する積年良土こそが、年を重ねるごとに土を良くする基本であり、もうかる農業への戦略だと氏は訴えた。その思想をよく知り、時代を共に生きた村井信仁氏をはじめ、4人の農業経営者が一堂に会し、菅野祥孝氏の積年良土思想について北海道上富良野町にある土の館で語り合った。また、同氏が登場した本誌2005年7月号の「編集長インタビュー」を再録する。誌面を通じて氏のご冥福を心よりお祈りしたい。

座談会 積年良土思想とは何だったのか(前編)

■菅野祥孝氏
1933年、北海道上富良野村(現・上富良野町)生まれ。46年、第二次世界大戦の敗戦で旧満州国から帰国。72年、スガノ農機(株)の三代目社長に就任。05年、相談役に就任。同年、黄綬褒章を受章。06年、紺綬褒章を受章。11年7月15日、79歳で永眠。

■ 出席者
・村井信仁氏
1932年、福島県生まれ。55年、帯広畜産大学卒業。農業機械メーカーを経て、北海道立農業試験場へ。89年、(社)北海道農業機械工業会専務理事。農業の現場に即した機械開発、研究、指導で農業経営者の厚い信頼を得た。退任後、67歳にして就農を果たす。農学博士。

・勝部征矢氏(北海道栗山町)
170haという日本最大の麦単作経営を行なう。連作障害の常識を打ち破り、40年以上の連作という神業を成し遂げる。しかも、収量は地元生産者の倍。先代の徳太郎氏と共に「北海道農業界の伝説」との異名を持つ。

・玉手博章氏(北海道留寿都村)
隣村で発生したジャガイモシストセンチュウを機に抵抗性品種で食味が良かったキタアカリに目をつけ、それに特化した生産を始める。販売はすべて自らの手で行ない、現在も新たな顧客開拓に向け、観光農園や農場カフェの建設を進めている。

・田中正保氏(鳥取県八頭町)
90haの経営面積のうち、自作地はわずか0.9haで、借地人は200人弱に上る。地権者と友好的な関係を築くことで総枚数にして400を超える圃場の8割方が自宅の3km半に集中している。水稲、豆類、ネギなどを生産し、加工品も多数手がける。

・矢久保英吾氏(秋田県大潟村)
29歳で秋田県大潟村に入植。コメの移植栽培への疑問と、イネが本来持つ生命力を引き出すことに徹すれば均平技術を前提に必ず増収につながるとの信念で、乾田直播を始める。その第一人者として知られる。

昆 吉則 本誌編集長

昆吉則 スガノ農機(株)相談役の菅野祥孝氏が7月15日に亡くなられました。そこで今日は菅野相談役を偲び、同氏は我々に何を伝えようとしていたのかを語り合いたいと思います。
祥孝さんは「積年良土」と題して一連の講演をなさっています。それは、農業や事業経営にとどまらず、人生の哲学、人間の生き方の話と私はうかがっておりました。人生には努力しても思い通りにいかないことがある。でも、それを踏み越えていくだけの準備というものを我々はどれだけやっているのだろうか。「積年良土」という言葉にはそんな意味が込められていると思います。祥孝さんの積年良土思想とは何だったのだろうかというのが本日のテーマです。

まずは村井先生に祥孝さんの人となりの前提にあるスガノ農機の歴史からお話しいただけますでしょうか。

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