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エクセレント農協探訪記

東洋一の食品コンビナートを建設した 北海道・士幌町農協

経営的に優れた「スーパー農協」を選ぶ賞があるとすれば、最優秀賞は問題なく北海道の士幌町農協(森本勝組合長)になるはずだ。
農協主導で運営される馬鈴薯コンビナート。組合員貯金高1戸当たり9000万円。この成功の影には30年におよぶ努力と、厳しい「淘汰選別」の英断があった


経営的に優れた「スーパー農協」を選ぶ賞があるとすれば、最優秀賞は問題なく北海道の士幌町農協(森本勝組合長)になるはずだ。組合員518戸で貯金高約486億円。一戸当たり9000万円強だ。営々と積み上げてきた内部留保は240億円ある。この運用利息だけでも年間10億円を上回る。民間企業でもこれほどの財務体質に恵まれた会社は滅多にないはずだ。


【導入しなかった組勘】

士幌町農協は帯広市の北30km、日本有数の畑作地帯、十勝平野の北辺にある。この地域に、岐阜県からの人植者が入って開拓が始まったのは明治30年代のことだった。それから約100年。入植以来の「貧しさ」が農協発展の原動力になった。

森本組合長は、「入植当初は米作りにこだわりましたが、稲作適地ではないのでどうもうまくいかない。そこで豆に切り替えました。その豆も豊凶の差が激しく相場の変動も大きい。3年に1回は冷害にも見舞われ、喰うや喰わずの生活が続いたそうです。そこで寒さに強い馬鈴薯とビートに転換、これに豆と酪農畜産を組み合わせた有畜農業の体系を作り出しだのが昭和30年代のこと。それでも貧しさからは脱却できなかったようですね」と振り返る。

その極貧の農村生活に終止符を打つきっかけとなったのが、昭和28年から28年問も組合長を歴任した太田寛一だった。太田は二つのことに手を打った。一つは、借金漬けの生活から組合員を開放すること、もう一つは、農産物に付加価値をつけるべく農協主導の食品コンビナートを建設することだった。

北海道農業にとって最大の問題は組合員農家が抱える多額の負債だ。北海道農業は大型機械の導入で多額の資本が必要となる。そこで考え出されたのが組合員勘定(組勘)という北海道特有の農家向けの融資制度だ。農家の資本装備に役立つはずの組勘も、農協のルーズな貸出でオーバーローンを招き、農家経済を逆に圧迫するようになってしまった。十勝でも組勘に苦しむ農家が多く、これが農協経営の悪化の要因でもあり、ひいては地域農業発展の足枷にもなっている。

その組勘を士幌町農協は発足時から導入しなかった。その経緯について森本組合長は。 

「組勘のような形で簡早に金を貸し出すより、農家が毎年の収入から一定額を積み立てて、自分で自賄いができる農業経営を目指すのが基本だと考えたんです。具体的には、営農貯金として販売収入から5%強制天引きしてもらいました。しかも貯金を簡単に下ろせないようにもしました。農家にはだいぶ恨まれたようですが…。だって人生にはどんなことが起きるかわかりませんからね」と説明してくれた。

当時の太田の哲学は明快だった。金を借りるということは、どんなに金利が低くても借り手の農家に決してプラスにならない。これが太田の後輩の農協経営者に引き継がれた。

実際に組合員からはたいそう恨まれたそうだ。ある組合員は、「自分の貯金であって自分の金でない。不意の用立てが起きた時でも貯金を簡単に引き出せないんだ」と、不満は残ったようだ。太田が口酸っぱく言い続けた組合員農家の資本充実は、市場開放時代になってますます重要性を帯びてきた。

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