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農業経営者ルポ

子供が後継者である必要はない

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第13回 1995年10月01日

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農事組合法人卯原内酪農生産組合(代表・高岡勉氏)は、昭和41年に設立された5戸9名の共同経営による農業生産法人である。平成6年度日本農業賞(天皇賞)を授賞したことが示す通り、優れた経営成果や事業体としての制度の充実ばかりでなく、後継者を外部から受け入れるという法人経営の発展に向けても先進的な取り組みがなされている。いわば共同経営の理想を実現している集団である。
農業企業化への夢


 「農業をやらせるならば俺の好きなようにさせれ。でなければ家は継がない」

 20歳で父から経営を引き継ぐとき、高岡青年はそう言って自分の夢を父や家族に話した。継ぐも継がぬも選択の余地があったわけではあるまい。むしろ、農業への夢がそう言わせたのだった。

 そのころの網走地方の農家は、7~8haの畑で、それこそ1年中休みもなく泥まみれになって働いても、暮れには農協に借金をするというような暮らしぶりだった。

 高岡氏は、そんな農家の状況を変えたかった。機械化された大きな農場。勤め人のように決まった給料が取れ、定期の休みがあり、体を壊しても組織が守ってくれるような安心のできる暮らし。そんな暮らしを高岡さんは夢に見た。

 昭和36年、農業基本法施行の翌年である。20歳の高岡さんは同じ夢を見る先輩だちと地域に働きかけた。自分の住む10戸ほどの集落で、皆が集まって機械の利用組合を作ろうという呼びかけだ。馬がトラクタに変っていく時代だった。しかし、1年間話し合ったものの、結局集落内の同意は得られなかった。ただ同じ場所に住んでおり、同じ問題を抱えているということだけでは、農民が共同で何かを作り上げていくことは困難だった。

 高岡さんたちの夢を実現するには、単なる地縁関係ではなく、同じ意思や夢を共有できる「仲間」でなければ実現できないと悟った。

 その挫折は、結果として共同経営への夢、企業経営のような農業の実現へという高岡さんたちの夢を一歩前進させた。

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