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【土門「辛」聞】
戦前の企業経営者は、「農工一体」の理想をもって本当に地域を豊かにした
- 土門剛
- 第92回 2012年04月24日
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TDKにみる「農工一体」への軌跡
「テケテケテケテケ ティーディーケー♪」
このコマーシャル・ソング、ご存知だろうか。ティーディーケー、カセット・テープで有名なTDK株式会社のことだ。50歳以上の方なら、FM放送の音楽番組を録音するのに、お世話になった方は多いと思う。筆者も、その1人だ。
そのTDKが、秋田県にかほ市を企業城下町にしていることは、ひょんなことで知った。3月28日朝のNHKが報じた、このニュース。TDKが市内にある3工場を来年3月末までに閉鎖し、全従業員約700人を、県内の他の9工場に配置転換する計画を進めている。TDK従業員が路頭に迷うことはないが、下請け工場の多くが、仕事を失って途方に暮れると、下請け工場に勤める従業員の声を伝えていた。
それはさておき、にかほ市にTDKの工場が3つもあり、それを支える下請け工場がいくつもあると知ってちょっと驚いた。TDKは、その昔、東京電気化学工業と呼ばれていて、創業の地は「東京・芝区(現港区)」、最初の工場が蒲田(大田区)にあったので、にかほ市に工場がいくつもあるとは思えなかったからだ。
にかほ市は昔の呼び方なら、旧由利郡仁賀保町だ。秋田には取材で足繁く通ったが、この地へ足を運ぶことは極めて稀だ。羽越本線を使って秋田と酒田(山形県)を往き来する時ぐらいしか通過することもない。
にかほ市とTDKの結びつきは、創業者、齋藤憲三(1898―1970)が、この地の出身地であるという縁によるものだ。齋藤が、戦前に「農工一体」という理想を掲げ、それを実現する場として故郷を舞台にしたことは、テレビを見て初めて知った。理想に燃え、東北の日本海側の寒村をハイテク産業の企業城下町にした齋藤という人物について俄然興味が沸いてきた。
齋藤憲三についての資料が少ない。出版物では「齊藤憲三の生涯」(川原衛門)があるぐらいだ。財団法人齋藤憲三顕彰会の出版とある。郷土の偉勲を称える組織だ。Amazonで買い求めようと思ったが、古本でも10万円の値札がついていたので諦めた。TDKや、にかほ市役所のホームページ(以下、にかほHP)、秋田ふるさとづくり研究所の『ふるさと呑風便 第216号』(以下、呑風便)に、いくつかの情報があった。これを参考に齋藤の「農工一体」の今日的意味を考えてみたい。
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土門剛 ドモンタケシ
1947年大阪市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科中退。農業や農協問題について規制緩和と国際化の視点からの論文を多数執筆している。主な著書に、『農協が倒産する日』(東洋経済新報社)、『農協大破産』(東洋経済新報社)、『よい農協―“自由化後”に生き残る戦略』(日本経済新聞社)、『コメと農協―「農業ビッグバン」が始まった』(日本経済新聞社)、『コメ開放決断の日―徹底検証 食管・農協・新政策』(日本経済新聞社)、『穀物メジャー』(共著/家の光協会)、『東京をどうする、日本をどうする』(通産省八幡和男氏と共著/講談社)、『新食糧法で日本のお米はこう変わる』(東洋経済新報社)などがある。大阪府米穀小売商業組合、「明日の米穀店を考える研究会」各委員を歴任。会員制のFAX情報誌も発行している。
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