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特集

今から始める大麻栽培 無毒大麻を産業に活かす


 加工技術についても、各地でそれぞれ特徴がある。例えば、奈良晒では精麻した状態で米ぬかにつけて色を白くし、長野県では麻を発酵させずに強度を出している。用途に応じて加工技術を使い分けていければ需要はもっと広がる。

【栽培が全国に広がるのが目標】

 大麻栽培は10a80万円と高収入のためこの辺りでは75歳、80歳になっても栽培している。しかしさすがに麻づくりをやめる人もでてきた。ウチが面積をもっと広げようと思えばできるが、ウチだけが残っても仕方がない。既存産地からすれば、もともと麻は農産物。北海道のように柵で囲わないと作れなくなったら、自分は作りたくない。各県で思いは違うだろうが、農産物として認めさせ、全国で栽培ができるようにしたい。いくら需要があっても生産量がない今の状況では産業用に広がらないからだ。もっとも、農産物といっても守るべきところは守り、管理を徹底するのは当たり前。種は農水省が管轄し、THCは厚労省が管轄すれば良いと思っている。

 現在、栽培で各産地が困っているのは種の入手だ。各地を回って麻の栽培の魅力について話をする機会があるが、せっかく興味を持った生産者が麻を作ろうとしても栃木県が種を出さない。これでは他の産地への嫌がらせと受け取られても仕方がない。きちんと管理して栽培できる生産者には種が出せるよう国が変わるべきであり、日本麻振興会としてはそうした方向で国に要望していく。規制が厳しいから簡単に変わるとは思っていないが、2、3年のうちに状況を変えたいと思っている。そうしないと日本から麻の産業は消えてしまう。


大麻をめぐる日本史縄文時代

―縄文時代
12000年前の鳥浜貝塚から大麻の縄が出土する。
縄文土器の模様は大麻の縄でつけた。

―弥生時代
静岡市の登呂遺跡から出土した大半が大麻製の織物。

―3~4世紀
阿波忌部族が畿内に進出しヤマト王権成立の立役者となった。同時に阿波から全国に麻の技術を伝えた。

―古代~
阿部忌部直系の氏が天皇陛下が即位後大嘗祭でのみ使用する「あらたえ」(麻の織物)を製作した。
古代~1466年で中断、1687年に一時復活し、1735年以降継続している。

―奈良時代
『常陸風土記』『播磨風土記』『出雲風土記』『大日本史』などには日本各地で麻が栽培されていたことが記されている。

―平安時代
『延喜式』では、17~20歳以下の男子が納める郷土の産物を貢納する国として、伊勢・尾張・三河・武蔵・上総・下総・常陸・上野・下野・越前・筑前・肥後・日向・信濃から麻が入っている。

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