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特集

今から始める大麻栽培 無毒大麻を産業に活かす



―平安末期から鎌倉時代
伊勢神宮に仕えていた祠官が全国各地へと赴き祈祷をしてその「しるし」として御祓大麻を授与するようになった。江戸中期には全国世帯の約9割に頒布された。
武家政治は質素を旨としたところから麻の生産量が増えた。

―江戸時代
木綿が一般庶民にも普及し麻の地位が低下したが、農民の衣服はほとんどが大麻の布であり、武士の裃は大麻の布で作った。一方で高級麻織物が普及し、近江上布(縦糸に苧麻、横糸に大麻を使った麻織物)は彦根藩の保護を受けて発達した。

―明治時代
明治政府が大麻と亜麻の栽培を北海道で奨励したが、軍服、艦船用ロープなどの需要が第二次世界大戦後になくなり、そのまま野生大麻となった。
1886年、日本薬局方(第一局)に印度大麻草と印度大麻草エキスの2つが収載された。明治政府はドイツ医学を手本とした薬局方を採用、1951年の第6局改正まで65年間、大麻は医薬品登録され、鎮痛剤や喘息薬などに使われた。

―大正時代
1921年、大幅に改定された日本薬局方(第四局)に印度大麻草チンキを追加して収載され、 内服で鎮痛薬や催眠剤に用い、外服で巻煙草にして喘息薬として用いた。

―昭和
1930年、アヘン条約の批准に伴い「麻薬取締規則」(昭和5年5月19日内務省令第17号)を制定。大麻草に関しては印度大麻草の樹脂とこれを含むものを麻薬に指定し、輸出入が内務大臣の許可制、製造等が届出制となった。日本で縄や布用に栽培されていた大麻草は、印度大麻草とは違ったため規制対象外であった。
1939年、戦時中に艦船用ロープや軍服などの軍需用に大麻の増産が奨励された。
1940年、農務省から大麻繊維の売買価格が国家統制品となった(終戦とともに廃止)。
1945年、占領軍(GHQ公衆衛生福祉局)により発行された覚書で大麻草が全面禁止とされる。しかし、当時の繊維原料として重要であったため、再三の交渉の結果、栽培には免許許可を必要とする制度として1948年7月に「大麻取締法」が制定され、同年8月に「指定農林物資検査法施行規則農林省令第64号」により、栽培地に17県が指定された。
1978年、栃木県は大麻の種子を他県に配布することを禁止した。
1981年、九州大学薬学部の協力により栃木県農業試験場は、薬理成分THCが極めて低い 「とちぎしろ」を開発し、農家への普及を図った。

―平成
1996年、民間で初めて新規に大麻取扱者免許が許可された。

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