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新・農業経営者ルポ

最高級ぶどうでMade by Japaneseを目指す小さな農家の大きな挑戦


 絹糸紡績の製造事業部に勤務し、買い付けを担当することになった渡邉は、中国、インド、イラン、ウズベキスタンをはじめ、世界中の産繭国を奔走した。

 「原料を買ったり、製品を作るということだけではなくて、会社の財務を見たり、コスト削減に取り組んだり、在庫確認もしました。また、この業界は相場の世界でしたから、価格の仕組みのこともわかり、経営とは何かを身を持って学ばせてもらいました。会社務めの経験は、今から考えてもとても貴重でした。」

 偶然なのか、運命が引き寄せたのか、当時、渡邉さんが何度も買い付けで訪ねたシルクロードは、ぶどうの産地でもある。ぶどうと蚕は育成条件が似ているのだ。


長野でぶどう農家になる

 生まれたときからいつも、ぶどうとのつながりの中で生きてきた渡邉。10年前、渡邉は家業を継ぐことを決意する。絹糸会社を辞め、ぶどう農家に戻った。その時の渡邉の想いをいつも思い出させる一本のぶどうの樹がある。昭和31年に父が植えた「57年目の巨峰の樹」である。秀果園を承継するとはこの巨峰の樹を受け継ぐことなのだ。今、日本で栽培されている巨峰のほとんどが、この樹から発しているのだそうだ。

 面白くなければ売れないのは工業製品だけではない。農作物も同様だ。「新品種の導入と高継ぎの技術を駆使し、工夫を凝らしてお客様のニーズに応えています」と渡邉はイノベーションにも積極的だ。最近人気の種無しピオーネやロザリオロッソ、翠峰、シナノスマイル、ジャスミン、ルーベルマスカットなど、合計30もの新しい品種導入にも取り組んでいる。

 一般的に、ぶどうは育てにくい果物と言われる。中でも昭和12年に農学者であり民間育種家であった大井上康氏がぶどうの育種株の研究を開始し、5年の歳月をかけて生まれた「巨峰」は、特に栽培が難しい品種である。お客様に喜んでもらうため、デリケートな巨峰の一房ごと、一粒ごとに、丹精を込めて育ててきた。ぶどうを単なる果物として売るのではなく、「面白さ、丁寧さ」という付加価値を身にまとった高級食材として売っているのが秀果園なのである。

 そんな経験を通して、次第に自分の天職がわかってきた。それは、人を感動させるぶどう職人の最高の技とどこまでもおいしいものを求める消費者をつなぐ「仲介者」としての役割を果たすことだ。すぐれた生産物、柔軟なロジスティクス、サービス精神にあふれた販売、そしてよいものがわかるお客様がすべてひとつになって、渡邉の農業経営は完成する。どんなものを作るのかだけでなく、どうやって売るかまでを常に考える。

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