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【編集長インタビュー】
栽培コスト4分の1のイタリア水稲直播栽培 3カ月の現地密着研究から見えてきたこと
- (独)農研機構 中央農業総合研究センター 北陸研究センター 水田利用研究領域 主任研究員 笹原和哉
- 第96回 2013年02月15日
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笹原 圃場の大きさは平均2haです。10haの圃場も見たことがありますが、水を入れるのに1週間かかって不便なこともある。それより、2haを3~4筆一貫して作業し、1筆ずつ圃場の外に出るのではなく、隣り合った畔を乗り越えて耕していくと、効率は良いんです(図1)。
昆 圃場の規模が小さいからといって効率が悪いとは言えないのかもしれないね。水系単位で作業のまとまりをどう考えるかでしょうね。水利条件はどうなっていますか?
笹原 大きな河川であるポー川の支流にカブール運河があります。大きな運河から先の水路の運営は水利組合が行なっていますが、水利組合には国が関与せず、自分たちでできる予算内で整備しています。さらに細い水路では、個人が土を掘っただけという所もあります。日本だと細かい水路も国が関わっていることが多いのですが、現地の村長は自ら経営する圃場の水路掘りをしていました。各経営が水利組合に払う水利費用は10a当たり5000円位です。
昆 ウルグアイでも自分たちで水路を作っています。日本と海外の水利の違いが明確に出ていますね。
稲作の歴史と技術思想
昆 そもそも、イタリアの直播はどのように発展したのでしょうか?
笹原 13~14世紀から稲作が始まりました。主にジャポニカ種ですが、現在は世界中から多様な品種が集まっています。ただし、コメはマイナークロップで、たまに食べるものなので、1kg単位の販売が多いです。
昆 小麦中心の国でなぜコメの産地が存在するのでしょうか?
笹原 稲作地帯は気候としては秋田の大曲に近く、アルプスが北側にあり、雪解け水が流れてきて、イタリアの中でも例外的な沼地になっていました。コメは、沼地でも育てられる作物として導入したのでしょう。もともと直播でしたが、20世紀初頭に移植技術が入り、1930~60年代まで田植えをしていました。60年代後半の高度経済成長で北イタリアではフィアット等の自動車産業が盛んになり、労働者の賃金が上がりました。このため農業経営者は労働者を多く雇えなくなり、再び直播に戻ったのです。その際、移植の時代までは1筆20aだった圃場面積が大きくなり、機械化が進みました。
昆 以前は大きな機械がなかったため水の力で均平できる面積だったんですね。
笹原 機械に関しては、稲作専用のものは少なくトウモロコシや小麦用の機械を活用して水田をつくるか工夫しています。
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笹原和哉 ササハラカズヤ
(独)農研機構 中央農業総合研究センター 北陸研究センター
水田利用研究領域 主任研究員
1969年大阪府生まれ。1992年東北大学農学部卒。1993年より九州農業試験場(後に(独)農研機構 九州沖縄農業研究センター)勤務。1997~2009年 湛水点播(ショットガン)直播、暖地型稲麦大豆輪作体系の開発において経営評価を担当。2010年より(独)農研機構 中央農業総合研究センター 北陸研究センター勤務。現在、水稲超多収栽培、開発技術評価のプロジェクトに参加。農学博士。
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