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人生・農業リセット再出発

あなたの苗字の由来は?

苗字帯刀。苗字を持ち、腰に刀を差すことが許された武士に対して、庶民は苗字も許されなかった。平安後期に律令と荘園制度が崩壊し、武士は自分の土地を開墾して自家所領を始める。同時に、所有権を主張するため、新しく開墾した田だから「新田」などと固有の名前を付けるとそれが苗字になった。民百姓は何村の田吾作などの表現でしかなかった。

 幕末を迎え、海外の列強と伍して国をつくらなければならない明治新政府が誕生する。もとより欧米諸国からの侵略を防ぐにあたっての開国であり、富国強兵は急を要した。明治4年には全国に戸籍法が発布される。その際、苗字が無くては徴兵するにも誰が誰だか把握できない。それから4年、苗字を強制する法律「平民苗字必称義務令」により、国民はみな公的に苗字を持たなければならなくなった。つまり、130数年前の明治初期まで庶民には苗字は一切無かったのである。

 兵隊に取られる、税金を取られる……国民はその真意を見破って反発した者も少なくなかった。自由奔放に平地部の人々とは違った古代からの伝統と血族を引き継いで生きてきた山岳民族は、捕縛され、官憲から逃げては殺され、平地へ引きずり降ろされて消滅の運命に遭う。反対色の強い村には、役人が大工を連れて一軒一軒回り、適当な苗字を思いつきで書いた表札を玄関に打ち付けたと記録が残っている。とはいえ、お上の命令にいつまでも背くわけにはいかず、人々はどのような名前を付けるか苦心した。山や田んぼの上方から家を数えて畑山、畑中、山田、田上、田中、中田、下田……、橋の近くだから橋本など勝手気ままな苗字が創られ、そのまま急いで登録される。戸籍整理の場面では徴兵や税金逃れで届け出が遅れ、6年経っても戸籍が不完全で「長崎では徴兵が一人もできていない!」と大山巌陸軍大臣を嘆かせた一幕もあったという。

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