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カリフォルニア農業から日本を見つめる

アメリカ農業のプライド

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第3回 1996年02月01日

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今回の旅行を通して、単に百聞は一見に如かずという意味だけでなく、合わせ鏡を見るように白分かち日本人や日本農業の姿が見えてくるような気がした。
 今回の旅行を通して、単に百聞は一見に如かずという意味だけでなく、合わせ鏡を見るように白分かち日本人や日本農業の姿が見えてくるような気がした。わが国の農業がいつまでも産業としては宙ぶらりんな存在としてあり続けてきた理由も思い当った。

 そのひとつは、農業界で語られる時の ――農家自身の意識を含めた――“農業経営者”という存在、農業の”経営”の”主体”が誰であるのかということの曖昧さである。

 これまでも意欲のある営農家たちは、「中核農家」あるいは「担い手」などという言葉でもてはやされてきた。しかしそれは農業生産労働に携わる「農業従事者」という労働力としての評価であり、「事業主」あるいは「経営者」としての位置付けではない。

 語られるのは「農民」、「農家」という生活者としての階層分類であり、経営の”主体”としての「農業経営者」が語られることは少なかった。その理由は、農家が営業、販売の部門を持つケースが少ないという”経営体”としての不完全さということだけではない。むしろ、農業の行政による主導性が強すぎることに加え、“利権要求団体”という性格の強い農協が経営の前面に立ち続けてきたことで、農業経営者の活躍の場が規制されてきたのである。

 農業の官僚支配と、「経営者の組合」ではあり得なかった農協とが、営農家が経営者としての”主体”を確立することを妨げ、その”誇り”を傷つけ続けてきたとすら言えるのではないだろうか。おためごかしの言葉で被害者意識を煽られ続けながら、行政や農協の”作男”のような存在に置かれ続けてきたといったら言い過ぎであろうか。

 あえていえば、かつての地主階層が持ち得ていたであろう”経営主体”としての自負こそが擁護される必要があるのではないか。“結果の平等”を求める被害者意識や「権利」意識ではなく、”チャンスの平等”を求めるチャレンジ精神、事業者の自負、経営への永続性を求める経営者の意思の存在こそが、まず最初に問われねばならないのである。経営者個人の力が試され、健全な競争が存在すれば農業は再生する。それらの総和としてこそ日本農業の強さが作られて行くのではないか。農業は地域の協力が無ければできないという議論も当然であるが、それとても経営者たちが作り上げて行くものなのである。そして彼らこそが、農業の歴史や誇りを受け継ぐ中心人物なのではないだろうか。


家の歴史を語るアメリカ人


 サクラメントの近郊、サクラメント川にそったコルサという村でクルミ栽培を中心とした農園を経営するフォリーさんを訪ねた。同氏は550エーカーの農園で250エーカーのクルミ栽培を中心に各種の作物を作っている。果樹以外にも150エーカーの畑に加工用トマト、ビーンズ、稲などを栽培しているが、こうした作物は、出塞局に応じてフォリーさんに収益が戻ってくる形で専門に作る農家に依託しているのだという。その他、クルミの調製施設を持っており、自分のもの以外のクルミ調製も受託している。

 今年堕園は、97年前、同氏の祖父の時代に始まったもので、いまでもその当時の作業小屋が、いわばフォリー家の記念碑のように残されていた。その小屋は入植の頃に植えたのであろう古いピーカンナッツ(鬼クルミ)の木陰にあった。

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