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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

おおしま ゆうこさ~ん




移民大国のタクシー運転手


サンフランシスコからLAに向かい、メインランドの用事も済ませLAXからハワイ・オアフに向かった。空港からホテルまでタクシーを利用したが、その後同じ運転手に二度会うことになった。

タクシーは情報のクラウドである。景気はどうか?どの会社が儲かっているか?などの最新情報は運転手さんに聞くのが一番早く、世論調査にお金をかけるくらいならタクシー会社と契約した方が安くて正確なのかもしれない。

アメリカでもタクシーを利用するときは、必ず運転手さんと会話をするようにしている。理由は現地の情報収集だったり、タクシー運転手さんの生い立ちや家族の話にものすごく興味があったり、移民大国なんだな~と改めて感じることが多い。つまり運転手のほとんど全員が普通のアメリカ人の平均よりも寿命が短い1世の移民で、子供たちのために働く姿がナマラ(北海道弁で、すごく)“頑張っているお父さん”なのである。

例えば今回、出会ったオアフの運転手、リー(Lee)さんに「どこの出身ですか?」と聞いたら「ベトナム」だと言う。名前からてっきり香港系中国人だと思っていたが、旧南ベトナム出身で大学を卒業後、ある研究所で働いていたという。アメリカが撤退してベトナム戦争が終結、北ベトナム軍がやってくると生活は一変したそうだ。そして数年が過ぎた1979年に小さなボートに4家族17名が乗り込み、当てのない南シナの大海原に向かうことになった。俗にいうボートピープルと呼ばれた人たちである。水も食料も尽きた5日目に運よくマレーシアの商船に助けられ、船の目的地であるクアラルンプールで3カ月を過ごし、弟さんが住んでいたアメリカ・サンディエゴに行くことができた。

彼はこう言った。「自分たちはラッキーだったが……」。戦争が終結して直ぐならまだしも数年が経つと、ベトナムを逃げ出したボートピープルを助けない、わざと見過ごす船の存在も知っていたそうだ。リーさんから「あんなつらいことは二度とごめんだ」「戦争で死ぬことができた同級生の方が幸せかもしれない」と聞いた。その当時、女の子のお尻を追っかけていた自分の幸せ度を再認識することになる。

ベトナム戦争はアメリカだけが参戦していたと勘違いしている人が多いようだが、実際は韓国・タイ・フィリピン・オーストラリア・ニュージーランドも兵士を送って北ベトナムやベトコンと戦い共産主義の覇権を防止しようとしたのだ。

報道ではアメリカ軍がやったソンミ村虐殺事件は有名で、アメリカのみが悪行をやっていたとされるが、ある噂を聞いたことがあるのでリーさんに、どの軍隊がひどかったのか事の真相を聞いてみた。

「○○軍はひどかった」。3回も偶然に会うと心を開いて本心を語っていると感じた。そしてその一番ひどい軍人と家族は70年台後半からアメリカ移民のご褒美を与えられ、今では明らかに日系人よりもパワーを示している事実がある。€€

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