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新・農業経営者ルポ

中国産の榊ありがとう、これからは国産が頑張ります!

神道行事に欠かせない榊(さかき)。神が降臨するこの常緑樹の切り枝は、当の日本人が知らないうちに、その大部分は中国産に置き代わってしまっていた。しかし、商品としての見栄えや日持ちからすれば、一般に国産の方が優れている。何よりこの国の豊かな自然とともに育まれた独特の信仰の問題がある。こうした事態にビジネスチャンスを見出し、日本一の榊屋を目指す一人の青年は問いかける。神棚には国産榊をちゃんと供えていますか? 撮影・取材・文/窪田新之助


爽やかな奪回宣言


農業技術通信社が3月に開いた定例セミナー。そこで講演した(株)彩の榊(東京都青梅市)で代表を務める佐藤幸次(34)の発言に、私は胸を打たれてしまった。
「中国産の榊、これまでありがとう。プラスチックの榊もこれまでありがとう。もう、これからは国産が頑張っていきますので」
中国産が圧倒する国内の榊市場。そこに新規参入した青年による、高らかな奪回宣言に爽やかさを覚えた。
私は大学時代、民俗学を専攻していた。いつしか熱中するほどになり、全国各地の祭りや寺社を巡るようになった。社会人になってからもしばらくそんなことばかりをしていると、当時勤めていた会社の先輩たちによくからかわれた。若いうちから辛気臭いことに興味を覚えるというのは、端から見れば風変り、あるいは滑稽に映るのかもしれない。
だから、榊の商売を始めた同年代の青年がセミナーで講演すると聞いた時には、親近感とともに興味を持った。いまどき榊に熱心だなんて、いったい、どんな人物なんだろう?
それでもっと話を聞いてみたいと思い、5月下旬、飯能駅に降り立った。駅から車で10分ほどもすれば、山々の間を走る川沿いに、緑の支柱に高々と掲げた社名入りの看板が目印となる彩の榊の作業場が見えてくる。そこで、作業着姿で忙しく立ち回っている若い社長を見つけた。
佐藤は飯能市生まれ。高校は進学校に入ったが、2年生であっさりと退学する。きっかけはハードロック。兄が日頃からかけていたその音楽はうるさかった。でも、いつしか英語の歌詞を口ずさむほどに心地良く響くようになる。それが米国へのあこがれとなり、そのまま太平洋を渡ろうと思い立つ。
私が「随分思い切ったことをしましたね」とたずねると、「昔から根拠のない自信だけがあるんですよね」と自嘲気味に笑い出した。
ただ、留学に明確な目的があったわけではない。そのため時間が経つうちに気持ちは失せ、近所でアルバイトを探すようになっていた。あれこれ探し回ったものの、いずれも年齢制限にひっかかってしまう。結局、行き着いた先は実家の生花店。佐藤が高校1年生の時、母親が自宅の1階で突然始めた店である。ただ、当初はこの仕事が嫌で仕方がなかった。
「男なのに実家が花屋なんて、高校に行っていた頃から恥ずかしかったんですよ。友達から『おまえんち、花屋なのか』と聞かれた時には、『別の人がやっているんだ』と答えていましたから」
アルバイトを始めてからも、働いている姿を友人に見つからないよう、目深に帽子をかぶったり、店の前ではトラックの陰に隠れるように作業をしたりしていた。それほど誇りを持てないでいた生花店での仕事だが、接客するうちにいつしか気持ちに変化が出てきた。

草花の価値を知る

ある時から、客に花の用途をたずねる一方、その客が持っている雰囲気を感じ取り、それを花束で表現するようになる。これが地元で受けて、個人客が増え、やがては結婚式場からも注文が入るようになった。
「その頃にはようやく花って面白いな、と思えるようになったんです。人に感動を与えることができるんだな、と」
佐藤が造る花束には特徴があった。レザーファンやアレカヤシなどの葉物を多く入れるのだ。青々とした葉を見ていると心が癒される。もっといえば、花より葉物が好きなのだ。だから、自分が仕入れる時には花より葉物を多くしていた。でも、これが一緒に働いている家族の反感を買う。ある日、父親にどやされた。
「お前、何屋だ!?」
客は花を買いに来ているから、葉物はそれほど売れない。それなのに、葉物を多く並べるのは商売に影響するというのだ。
そこで葉物を自分で育てることにした。大好きなユーカリの苗木を80ポット買ってきて、生花店の周りに植えていった。2年もすると2階建ての実家の屋根を越えるほどに成長していた。「ようやく葉物を無償で提供できるようになるぞ」。だが、喜びもつかの間、父親にまたどやされた。
「うちがユーカリにやられてんじゃねえか」
佐藤がこの話をした時、彼の笑顔につられて私も笑ってしまった。自宅がユーカリに囲まれて、家内に日が差し込まないようになれば、家族が怒るのも無理はない。でも、そんなことに頓着せず、客に喜んでもらうためにユーカリが育つことをせっせと願っていたというのは、一途なだけにどこか可笑しみを感じる。従業員の女性によれば「社長は一つのことに一生懸命になると、周りが見えなくなるのよね」とのこと。
このユーカリの話に限らず、一緒に働く両親や兄とは何かにつけて意見が食い違った。いつでも意見は3対1となり、一人孤立してしまう。働き始めて10年が経った頃、独立したいと思うようになっていた。

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